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眠れない憂鬱
眠れない憂鬱
睡眠は大事と言われます。そこに異論はありません。
でも、眠れない日が続くと辛くなります。
悩みがあって眠れない。
緊張することがあって眠れない。
気持ちが高ぶって眠れない。
また、今夜も眠れないのかな。
眠れない時間は、とても長い。
せっかく眠ったのに夜中に目が覚める。
アラームより先に目が覚める。
日中、身体がだるくてしんどい。
私は、昼寝をしない子どもでした。
旅に出ると、寝付けない。
最近、寝ていられる時間が短くなりました。
これは加齢ですね、きっと。
自慢になりませんが、昔から寝るのが下手です。
どこでもすぐ寝れるという人が羨ましい。
安らかに眠る方法はないかなと探しますが、お酒や眠剤で寝ても、それは睡眠ではなく、気絶しているのと同じだと知りました。眠るのと気絶は違うのですね。
後、不眠は誰にでも起こることで、それを病気にするかしないかは自分次第なのだそうです。確かに、眠れないことは辛いことだと決めつけていました。違う捉え方もあるのか。
例えば、狩猟採取していた時代に深く寝入ってしまえば、外敵に命を奪われる可能性が高くなります。猫はよく眠りますが、ちょっとした物音に反応します。物音に敏感でいる方が生き残りやすいですし、その遺伝子が受け継がられている可能性は高いのかなと。それは、大事なスキルだったのではないでしょうか。
電気が発明される前は、日没すれば寝て、日が昇れば活動していました。火の明るさで仕事することは難しいですし、燃料費もかさみます。現代は、夜でも照明で明るく、仕事もできてしまいます。体内時計が狂う環境に暮らしています。
病は気からと言います。
眠れなくて気に病むより、誰にでも起こることと思えば気が楽になります。
願望としては8時間、いや7時間ぐらいぐっすり眠ってみたいですが、叶わない夢です。
これが、私の睡眠ペースなのだろうなぁと納得して過ごそうと思います。
常識の賞味期限
常識の賞味期限
「普通は、こうするよね」
よく耳にする言葉。
周りと同じことができていれば一安心。
皆がしているから私もしておく。
でも、そこに疑問を感じ始めると、そこにいる居心地が悪くなります。
そんな風に感じる私がおかしいの?
普通からはみ出しているの?
どうして私は馴染めないの?
誰が何と言おうと私はイヤです、やりません!
とはっきり言えればいいですが、この場所で生き続けようと思うと、そんなこと言えないという人も多いでしょう。
私たちは何を気にしているのでしょうか。
親の期待に応えようとしている?
周りの圧力にあらがえない?
常識と思っているものは、実は変わらないのではなく、時代によって大きく変化して今にいたっています。
例をあげると、私が新社会人になったのは、30年以上前になりますが当時、暗黙のルールとして「寿退社」なるものがありました。
女性社員は、結婚を機に退職届を提出して、皆から祝ってもらいながら会社を去ります。結婚せずに年齢を重ねると「お局様」として敬遠されます。まるで、結婚することが女の幸せと決めつけられていた世界でした。
今の時代では、考えられない世界です。
時代の背景で、常識は臨機応変に形をかえます。
特に今は、情報がいくらでも手に入る時代です。
自分の親世代と同じようにしていれば、何とかなるわけでもありません。
終身雇用、年金、利子、どれもこれからの生活を守れそうにありません。
定期預金は、10年間預ければ倍の額になるという時代もありましたね。
相次ぐモノや運賃の値上げで、悲鳴を上げたくなります。
常識を相手が持ち出す時は、あなたが自分と同じようにしてくれることで安心したいのでしょうね。
巷は、常識で溢れています。そこに合わない自分を責めていませんか。
常識の賞味期限は、どんどん短くなっていますよね。
常識より、あなた自身を大切にする方を大事にしてください。
堂々としなくても、こっそり自分を大事にしたらいいと思うのです。
あなたは、何のために働きますか?
あなたは、何のために働きますか?
生活するためには、お金が必要です。
お金を得るためには、働かなければなりません。
働くといくことは、生きていく上で避けては通れないものです。
でも、それだけではありませんよね。
働くと、あなたの時間の多くを費やします。
それも莫大な時間を。
そして、何の仕事をしているかが、世間へ向ける顔になります。
「△△にお勤めなのですね。」
所属があるということは、相手に「自分はこういうものです。ご安心を」という証となります。
世の中の人々は、個人ではなく、どこに所属しているかでその人を図ろうとします。
かく言う私も、初対面の人に対してしていると思い当たります。
仕事以外なら、
〇〇学校に通われているの。
□□さんとこのお母さん、お父さん、お子さん。
相手にとって、シンプルにどこに所属しているかわかると安心しますが、自分自身に対してはどうでしょうか?
私の場合、〇〇ちゃんのママという立場だけだと、子どもが巣立った後に私に残るものはあるのだろうかと不安になりました。
所属先も、自分が納得している間はいいですが、
勤めていると、このままここで働き続けてもいいのか悩んだり、
人間関係にトラブルが発生したり、
自分にはもっとあう仕事が他にあるのではないかと迷ったり、
いろいろな想いが沸き上がってきます。
仕事に向き不向きはあります。
わかりやすいところだと、力が弱い人間が力仕事をしてもできませんし、続きません。力仕事をしたければ、まず身体を鍛えてからになるでしょうか。
職業面接を受けるまでに、ある程度その辺りは自身で判断しているものでしょう。
どのような仕事でも、プラス面とマイナス面があります。
そのバランスがあなたにとって、どちらに重きがあるかで仕事に向かう心持が変わります。
私は、これまで様々な仕事をしてきました。例えば、一人職場の疎外感、職場の風土、業務作業の効率性の違い、感じるところが多々ありました。仕事が己を占拠する力は大きいですが、仕事を受け身でし続けるとマイナス面が先立つようになるようです。
もっと自分にあった仕事、やりがいを感じられる仕事が他にあるような気がしますが、私の経験では、そんなものは皆無に近いと知りました。
仕事をプラスに感じるためには、仕事を変えるより、自身を変える方が早い。ポイントは2つ。
これからの自分の肥やしになるように考える。
自分の拠り所を職場のみにしないこと。
今の職場を闘病しなければならなくなったり、倒産、リストラ等、自分の意志ではどうにもならない事態で職場を失うことになっても自分が生きていける道を作っておくことは大切です。
そのための対策として、副業を持つこともありだと思います。
副業をしなくても、自分ができることを増やしておく。
自分の肥やしというイメージがわかりやすくなったでしょうか?
仕事からつかみ取ることは、小さくて具体的なことで充分。
仕事に使われるだけではない自分を持つことが、とても大事だと実感しています。
里親家庭の物語1
里親家庭の物語1
先日、立命館大学主催のフォスタリング・ソーシャルワーク専門講座で、里親家庭の体験を話す機会をいただきました。里父、里母、里姉それぞれの立場で感じたことを話しました。
里姉である娘とは、何回か一緒に話をする機会がありましたが、今回は、里父も初参加する形となりました。
里親をしたいと言い出したのは、里母の私。
里父も里姉も、巻き込まれた立場で話してもらいました。
里姉が、中学生の時に里子が我が家に来てくれました。
以前よりも里親制度の認識が進んでいるとは言え、世の中多くの方が、「里親って、どんなもの?」と思っていると思います。
自分の周りに里親をする家族がいたら、あなたなら誰に様子を尋ねますか?
我が家の場合は、中学生の娘に親戚や教師が、「里子を迎えてどうなっているの?」と聞いてきたそうです。
娘は、その時、私に何も言いませんでした。
高校生になり、皆の前で話すとなった時に初めて娘から聞かされました。
そして、「しんどかった」と泣き出しました。
母親なのに気づけなかった自分が情けなく、娘に対して申し訳なさでいっぱいになりました。
里父も、皆の前で話しながら、言葉を詰まらせる場面がありました。
「自分の子どもにしてやったことを里子にもしてやりたかった。
それが、里子にとっては過剰な刺激になっていたのかも知れない」
と、涙ぐんでいました。
夫なりに良かれと思ってしていたことが、今となって思えば、裏目に出てしまったようだと悔やんでいました。
娘も夫も、第三者が聞いているというシチュエーションがなければ、出てこなかった言葉です。
皆の前で話す機会がなければ、二人の気持ちをいつまでも知らないままでいたでしょう。
いろいろな事が起こり、皆、傷つきました。
里子にとって我が家に来たことの意味は何だろう。そして、私たち家族にとってもと苦しくなる時もあります。
里子とは離れて暮らすことになりましたが、離れて暮らしている今も交流は続いています。
数か月に1回程度ですが、一緒に出掛けています。
離れてからの再開時は、お互いぎこちなかったのですが、だんだんと肩の力を抜いて会えるようになっています。里子も私たちも、会える日を楽しみにし、笑いあえる日が訪れるようになるとは、夢にも思いませんでした。
改めて、人生は続いていくのだと感じています。
子育てと、仕事と
子育てと、仕事と
私の経験では、子どもを授かるというのは、これまでの生活が一変することでした。
妊娠中は、お腹が大きくなり寝返りができなくなります。
逆子になっていると言われ、猫のようなポーズをしてこてんと横に倒れる逆子体操なるものをしました。
検診時に体重が増えるとドクターに叱られるので、朝ご飯を抜いたこともありました。
陣痛から出産、痛かったですね。
陣痛で苦しんでいるのに、晩御飯を食べに出かけて行った夫の横顔を鮮明に覚えています。
何時間にも及ぶ出産の後、産道も胸もめちゃくちゃ痛かった。
女ばかりが、何でこんなに痛い思いをしなければならないのかと、デモ行進をしたい気分になりました。
出産後は、休む暇もなく、子どもの世話に追われて自分の時間がどこかに吹き飛んでしまいました。
眠くて仕方ないのに、寝かせてもらえなくてフラフラ
子どもと過ごしていると誰とも会話をしていなかった
トイレまで子どもが着いてきて、落ち着いてできない
朝は職場まで走り、晩は保育所まで走って、何で私こんなに走らないとならないのだろうと思っていました。
イクメンという言葉もない時代でしたが、夫は子育てや家事をしてくれる人で、有難がったのですが、褒められるのはいつも夫だけ。
私には、暗黙のマイナス評価がくだされ、何か、理不尽。
子どもが成人して、改めて思うことは、子育ての楽しみ方を知っておけば良かったです。
子育てをしている時は、子どもか仕事かの2択に責められて、両方中途半端になっているような気がしていました。
世の中は、子育ての責任を母親に求めてきます。
父親として、よく動く夫であっても、この日どちらが仕事を休むかで、二人とも休むことが難しい時、子どものことを心配して悩むのは私だけで、夫の方はあまり深く悩んでいるように見えないことが不思議でした。
どこか他人事のように感じているように見えると、父親としてどうなの?と腹が立ちます。
夫が悪気なく「手伝うよ」と言うと、あなたの子どもでしょうとカチンときてしまいます。
夫の方は、良いことをしようとしたのに機嫌が悪くなってしまう妻に困惑。
そういうことは、他のご家庭でもよく聞きます。
夫の悪気のなさは、性役割分担の不平等さからだけでは説明がつかない、モヤモヤ感がいつもありました。
人間も生物の一つとして、備わっているものを考えてみたらどうでしょう。
まず、私たち祖先は、600万年もの間、狩猟採集の暮らしを続け、1万年前かから農耕や牧畜が始まりました。いつ自分が襲われるかもわからない狩猟採取時代の名残を受け継いでいるといわれます。
例えば、幼児期の子どもは、男の子は電車や車、女の子はかわいい生き物や花に興味を持ちやすいのは、狩りをしてきた男性は動くものに反応し、女性は居住地の周りで食べ物を採取していた所以からきている。
私たちにこうして埋め込まれたものがあるのなら、母は、子どもをよく観察して、元気かどうか常に確かめようとしていつも子どものことが頭に浮かんでしまいますが、父は家族よりも仕事の方に気がいってしまう。父は、それが家族を守る方法として埋め込まれている。
そう考えると、夫の「手伝うよ」と悪気もなく言ってしまうことに合点がいきます。
そして、現代社会は女性も働くことが当たり前になり、教育期間が終われば次は就職する道が待ち構えています。就職活動をしてなかなか決まらない時は、自分を全否定されたような落ち込みを味わいますが、それは新たな身分を得られない焦りがあるからでしょう。社会の中の身分を得るように生きることを強いる現代で、未熟で発熱しやすく、手をかけなければ生きていけない子どもを抱えることは、これまでと同じように働くことが難しくなります。社会の中の私か、親としての自分かを必要以上に自分に突き付けてしまっていないでしょうか。
このカラクリを知っておくことは大事。
夫に、何故わからないの?と苛立つ時間がもったいなかった。どうしようもないことで悩んでいるのなら、その部分は捨ててしまえば良かった。
子育てには、人手が必要です。仕事と同じように、子どもを育てていくために使えるものは何か、それをどう使うか割り切って考え、すくすく大きくなっていく子どもを楽しんで眺めるようにすれば、もっと子どもにヤイヤイ言わないで済んだかもと思う今日この頃です。