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幸福感
幸福感
2025年になりました。今年の年末年始は休日が上手く重なって、なかなかの長期休みを過ごされた方も多かったのではないかと思いますが、私は見事な寝正月でした。これも体調不良によるものでした。治ってきたかなと思ったら熱がぶり返し、吐いてしまい、ソファかベッドで寝ていることがほとんどでした。
寝正月から一転、電車生活は身体への負担が大きい。咳き込むのでマスクは外せません。そして、匂いがいまいちわからないという状況が続きました。鼻が詰まっているせいか、思考が回らず、ぼーっとしてしまうことが増えました。考えることが停滞すると、それが感情に影響して、感情の方も何をしても動きが鈍い。コロナに罹った後、味がしなくて困っている話をよく聞きましたが、私の場合は、生活している中での小さな喜びが味わえず無機質な毎日を過ごしていました。
「幸福感って、なんだろう?」
50年以上も生きてきたら、世の中のことわりがある程度見えるようになり、生きていくこと自体が修行のようなもので、幸せを追い求めて生きるのは無理だと知っています。
「今日の空は青くて気持ちいいな」
「花が咲いて奇麗」
「家族や友人に会えて嬉しい」
そんなことを有難いと思って過ごしていますが、空を見ても気持ちいいなの部分が弱くなっていました。鼻が通ること、元気にいられることは感情に直結するのだと思い知らされました。
幸福感とは、なんだろうといろいろ調べてみたものをまとめると、
自ら幸せになろうと動き、そこから深い満足感を得ること
運とか誰かに幸せにしてもらうことを期待するのではなく、主体的に感じることがポイントのようです。
それを踏まえて3つのことを試してみました。
とりあえず身体を動かす
空を眺めて、気持ちいいことを思い出す
目を閉じたらキラキラした星空を想像する
小さな行動でも主体的にできますし、目を閉じた時に灯りをイメージすると気持ちが軽くなりました。深い満足には、ほど遠いですが、感情を動かすリハビリにはなりました。人は、古くから幸福を探して生きてきています。幸福は、夢中になって追いかけている時が一番楽しいのでしょう。だから、今の幸福で満足せずに次を探し始めてしまう。深い満足を感じ続けられる人は、仙人のような方だと思います。
そこそこ健康で過ごせますように
そこそこ健康で過ごせますように
2024年も終わろうとしています。
皆さまにとって、どのような1年となりましたか?
私は、クリスマス頃から鼻風邪をひいて微熱が出て、そろそろ治るかなと思い始めた頃、夫がコロナに感染。それが影響したのかわかりませんが、熱は出ないが吐き気との闘い、それが落ち着くと腹痛、そしてまた関節痛からの微熱へと、私の身体、どうした?という年末を過ごしています。
昨日は、体調もだいぶ戻り、少し大掃除をしたり動けたのですが、今日はパジャマを着替える気力もなく過ごしています。これを書いているだけ、元気でしょう。少し前に熱が出た時は、画面を見ることもしんどかったので、やはり治りかけているのだろうと感じます。せっかくの連休ですが、予定はキャンセル、すぐに床が恋しくなる、何年間分の風邪をまとめてひいたような気分です。
誰でも同じですが、体調を崩して、初めて健康のありがたさを知る。
日常的に、首肩コリは慢性的、寝てもすぐに目が覚めたり、お腹を壊しやすかったりとさほど健康自身がある方ではないのですが、朝起きたら、何も考えず着替え、その日の活動の準備に移れることの有難さを思い知ります。
ついでに、今年は人間ドックを生まれて初めて受け、念のための再検査と念のための総合病院受診となりました。身体にガタがきていることがわかります。50年以上生きて入れば、当たり前ですね。
子どもの頃も病弱で、運動が好きで学校を休まない健康優良児は、眩しい存在でした。運動ができる子はヒーローで、病弱でチビでガリの私とは対象的。健康面で自分にプラスのイメージを持てずに過ごしてきましたが、ここ10年ほどは、発熱することもなく丈夫になったと感じていました。久しぶりに、体力に自信がないアイデンティティを思い出しました。
何でもそうですが、自分が自分をどう捉えるかなのですよね。
微熱が続いて治らないのは最悪だと嘆くこともできるし、何とかなるし寝正月をたまには楽しもうと思うこともできます。たまには、うだうだと過ごす年末年始も良しとしましょう。
皆さま、よいお年をお過ごしください。来年もよろしくお願いします。
えっ、そんなこと言った?
えっ、そんなこと言った?
忘れられない言葉というのは、誰にでもあると思います。人生を変えるような言葉や一生忘れないからな覚えておけと怒りに震えるような言葉かも知れません。
私が中学の時に、壁にいたずら書きをされてショックを受けていたら、友達が「あんなの気にしなくてもいいよ」と言ってくれてその言葉に救われて今も感謝しているのですが、その友達はそのことを全く覚えていませんでした。
母からは、子どものためではなく親のためだと感じる事をよく言われて、しんどく感じていましたが、母親も90歳になり、だいぶ性格が丸くなってきました。
その母が、「近所の人が遊びに来てと言うのだけど、行くと苦労話ばかりするからいややねん」と言うので、「無理して行かなくてもいいと思うけど」と返しました。
「そうよね。友達は離婚して女手一つで子どもを育てて、うどんしか用意できない時があって、麺は子どもに食べさせて、私は汁だけで我慢したのって言ってね、苦労したことを子どもに聞かせたいと言うのだけど、どう思う?」
「子どもさんは、あんまり実家に来ないのかな?そんな話をされたら余計に遠のきたくなるね」
「だよね。私もそんな話しない方がいいと思うから、やめときなって言ったのよ」
「ふーん・・・・・。ねぇ、子どもの頃、私に言ったこと覚えている?私と同じ考えじゃないなんて許せないと詰め寄ってきたこととか」
「えっ、そんなこと言ってた?全然覚えてない」
「何度も言われた」
「えー、そんなこと言ったかなぁ」と首をすくめる母。
私には迷惑この上ない言動だったですが、言った張本人はきれいさっぱり忘れていました。
そういう私も娘を叱ったことを覚えていませんでした。娘が小学生の時にウサギを飼っていて、ゲージから出した時にウサギが電気コードをかじって火花が飛び、その時に私が娘にすごく怒っていたと言うのですが、全く思い出せません。怒るとしたら、ウサギを出すと危ないからちゃんと見てねと言ったのに見ていなかったことを叱ったのでしょう。
同じ場面でも言われた方は忘れられませんが、言った方は特別なこととして認識していないのか、覚えていないという対照的なことが起きるのだと改めて認識しました。
自分も含め、都合よく記憶する人間の逞しさに驚きます。言った側と言われた側から見える風景は、全く異なります。
その言葉で傷ついた方は、忘れられない体験として刻まれますが、言った方は時間の流れと共に自分をいい人間にしておくために都合が悪いことは、無意識に忘れ去ろうとするのかも知れません。
私の母親は、自分を良い人間だと信じ、人の気持ちがわかり過ぎてしまうから考え過ぎてしまうのだとよく言っています。人の気持ちがわかり過ぎてしまうのなら、子どもにあの言動は取れないだろうと突っ込みたくなりますが、誰もがより良い人になりたいと願い、行動しているのだと思います。そこに人間関係のすれ違いやトラブルが起こるのですが、自分を悪役に認定するのは至極難しいことなのですね。
声かけの順番、間違っていませんか?
声かけの順番、間違っていませんか?
私は家族と話をする時、いつもより気を抜いていることが多いです。外では、無意識の内に態度も言葉も選んで、いい顔をして過ごしているので、家に帰ったらリラックスしたいと思ってしまいます。
親しき中にも礼儀あり
という諺があります。家族と世間話をする分には、気を抜いていても大丈夫ですが、感情が触れるような話題の時、相手を急に怒らせたり、機嫌を損ねてしまったことはありませんか。家族は、気軽に話せてわかってもらえる存在と思っている分、わかってもらえていないと感じた時の怒りは、倍増します。
私も娘から人間関係のことで相談を受けた時、アドバイスをしようとしたら
「今は、そういう正論を聞きたいわけではないの」
と叱られてしまいました。疲れている中、娘の話を頑張って聞いていたのに怒られて、サウンドバックになったような気分でした。でも、充分に娘を落ち着けていなかったのだと反省もしました。
気持ちを落ち着かせて、冷静になれ、やる気を感じられるようになるまで私は聞き役に徹するべきでした。
「そんなことがあったの」
「腹が立つね」
「それはしんどいね、疲れたでしょう」
まずは、娘の状態を代弁して落ち着くのを待つ。
落ち着いたら、相手のことをシュミレーションしてみる。
「その人は、何でそんなことをするのだろうね」
「そんな事をしても得にならないのにね」
「あなたに嫉妬しているのかな」
冷静に状況を見ることができれば、今後の行動を考えることができます。
ここまでの過程は、丁寧に時間をかけてすることをお勧めします。
答えを早く出そうとタイミングを見間違えると、人間サンドバッグ行きになるので。
今後のことは、後日にゆっくりお茶でもしながら話してもいいでしょう。
悩みを抱えている時は、子どもも大人も信頼できる人に聞いてもらいたいし、わかって欲しいのです。
小さい子どもでも手順は一緒です。
理由もわからず泣き叫ぶ子どもに「恥ずかしいから、泣かないの」なんて言ったら余計に泣き出します。
「あら、どうしたの?悲しくなっちゃった?痛いのかな?」
「これ、嫌やった?」
「泣きたくなっちゃったの、よしよし」
「大丈夫?」
泣いている理由なんて、子ども自身もわからなくなっているものです。
まず、気持ちを落ち着かせることを目的にしたら、声かけも楽になります。泣き止ませようとするとその気持ちが子どもに伝わるのでしょう。自分を否定された感覚を受けて、泥沼にはまっていきます。
子どもに伝えたいこと、教えていきたいことがたくさんありますが、伝える順番を間違えるともったいないことが起こるので、手順は大切にしたいものです。
猫の話
猫の話
対人援助学マガジンでも書きましたが、可愛がっていた保護ネコが白血病を発症して7歳で逝ってしまいました。まだまだ若くて、もっと一緒に過ごせると疑いませんでした。
異変を感じたのは息づかい。いつもより早くてぜぃぜぃしているように見えるけど、夏バテだろうか。
動物病院に連れて行くと、胸に水が溜まっていました。
水が溜まるのが落ち着いたのですが、食欲がなく見る見る内に、ガリガリになっていきました。
再度動物病院に連れて行くと、血液検査をしましょうとなり、
「残念だけど」と医師が語り始め、白血病が発症しているとわかりました。
その翌日に逝ってしまいました。
覚悟はしていたつもり。
でも、寂しくて仕方がない。
込み上げてくるものを抑えられない。
家に来た当初は、怯えて何処に隠れたかわからなくなって家中探し回りました。
月日が経ち、撫でられると喉を鳴らしてくれるようになり、
名前を呼べば、ニャーと鳴きながら来てくれるまでになりました。
とても可愛い子でした。
逝ってしまってから、猫のトイレやエサ箱を片付けた。
トイレがなくなり、その場所がガランと広くなった。
名前を呼んでも、返事はない。
私の気持ちもガランと何かが抜け落ちた感じがします。
夫が、「待っている猫がいるのではないか?」と言い出しました。
また、保護ネコを迎えることに異議はありません。
けど、すぐに連絡を入れる元気は起きず、すぐに連絡を入れられなかったです。ただ、鳴き声がしない家があまりに寂しかったから、保護ネコがいる所に連絡を入れた。すぐに子猫の兄弟か1歳過ぎの姉妹の写真が送られてきました。
夫にどちらがいい?と尋ねると、
「貰い手がつきにくくなるだろうから、1歳過ぎの姉妹にしよう」と言った。意外だった。そんなことを考えているのか。猫の成長は早いから、家においでと思ってくれたようだ。
ゲージを洗って組み立てて、片付けたトイレを引っ張り出した。
姉妹が来て約1週間。警戒は続いているけど、撫でられて気持ちよさそうにもしてくれる。シャーと怒られることもあって、少し凹む。
同じ猫でも、この姉妹は置いてあるモノをいっぱい落として、何故かゴミ箱に入っていた。前の猫はモノを落とさないタイプの子だったのかと改めてわかった。
姉妹猫を見ながら、亡くなった猫が恋しくなる。
新たに猫がやって来たら、先住猫を忘れてしまうのかと思ったけど、違った。
姉妹猫はかわいいし、慣れてくれるまでの過程が楽しみ。
そして、先住猫も隣にいて恋しさも一緒にいる。
何となく、その煮え切らない感情を大切にしていたい。
それは、私がひそかに思っていればいい。
今を生きている猫たちには、自分が一番可愛がってもらっていると思うように接しよう。