ブログ
あなたは、疲れやすいですか?
あなたは、疲れやすいですか?
猛暑が続いたと思ったら、次は寒暖差。疲労や倦怠感が私の身体を覆ってくるようで、その感覚に負けたくないと思う今日この頃です。皆さまは、元気にお過ごしでしょうか。
疲れていると感じる時は、何もせずに一日寝ていたいと思いますが、実はじっとしている方が疲労がたまると聞いて驚きました。確かに、ぐうたらと過ごすと夜になっても寝れず、寝ても眠りが浅くなり、翌朝が余計にしんどくなることがあります。ほどよく身体を動かしている方が良さそうです。
私は肩と首が年がら年中こっているので、寒くなる季節が苦手です。毎朝ストレッチやヘッドマッサージをして努力をしているのですが、残念ながら痛くなるものは止められません。これも運動不足なのかも知れません。
その体質も受け入れつつ、最近の気だるい疲れはどこから来ているのだろう。確かに、ここのところのんびり休日という日はありませんでした。でも、寝る間も問えないほどの激務かと言われれば、そこまでではありません。
移動するにしても、電車や車ですし、眠る場所も天敵に襲われるような野宿でもなく、お風呂にも入れて、温かい布団にくるまっています。時折、猫が上に乗ってきて息苦しい時もありまけど。
当たり前のように過ごしていますが、これらのことはとても贅沢なことなのでしょう。ますます体の疲れだと言ってはいけないような気がしてきました。
そうすると、頭の方の疲れですかね。体調を崩し、仕事を辞めて家で過ごしていた時、よく眠れずに辛かったので、できるだけ身体を動かしたら疲れて眠れるのではないかと、ウォーキングをしたり、自転車にのったりしましたが、結果はいまいちでした。動かし方が足りなかったのかも知れませんが、その時も頭の方が疲れて肩こりのように思考が固まっていたような気がしています。
仕事を辞めて家にいた時は、何もかも自由気ままにできる環境下でしたが、外に出るのがおっくうになりました。何もしたくないような、何をしたらいいかわからないような、何か気持ちが縮こまっていたような気がします。家にいてもいい事は起きないので、とにかく外に出ることが自分へのミッションになっていました。
それから、外に働きに出始めると、何処に行こうと思わずに目的地に向けて出かけられることが嬉しかったです。でも、拘束時間が長引くと疲れてきますし、自由な時間も削られます。追われるような日々を過ごしていると疲れたな、ゆっくり休みたいなと感じますが、その感覚は私の頭によって作られたもののようです。子どもの頃、身体が弱かったので疲れたらゆっくり体を休めないといけないと刷り込まれていて、その行動パターンを実行しなければならないと思い込んでいました。
今回、本当に身体が重くて仕方がなかったのですが、頭を休めるために電車の中でボーとしたり、頭をすっきりさせるため、思いつくままノートに書き出す作業をしてみました。そして、このだるさは身体の疲れではないと思うと自分で考えるようにしました。
そうしたら、身体が軽くなりました。予想以上の効果覿面。いつまでも続く倦怠感に振り回される方だったので、この思考の切り替えを続けてみようと思います。肩こりと首こりもマシになると一石二鳥ですが。自分で、疲れを倍増してしまっていたのかなぁと感じています。
家族とお金の話
家族とお金の話
様々な家族のお話を聞いています。外から見ているだけではわからない内情をお聞きします。その度にいろいろなことを人はしてしまうものだと驚かされます。
そして、多かれ少なかれ、家族の悩みの横に「お金」の存在があり、生活をしていくためのお金をできるだけ多く持ちたいと願うのは、当たり前のことです。お金がなくて苦労したという話もよく聞きます。
お金がなくて進学を断念すると、仕事の選択肢が狭まりやすくなり、悲観したくなることも起こります。
お金が持つ力は大きい。
しかし、お金があることが原因で、家族関係が歪められることもあります。
お金が強くなり過ぎると
プレゼントの金額で愛情を図ろうとしたり、
高価なモノを身に着けて、自分の価値を高めようとしたり、
お金を持っている人に媚を売ることに必死になり、周りが見えなくなります。
愛情や自尊心をお金で手に入れようとする行為ですが、お金の切れ目が縁の切れ目、お金がなくなれば、周りにいた人々は雲の子を散らすようにいなくなってしまうことを、私たちはよく知っています。
それでも、家族の中でお金の力が中心に置かれているなぁと感じることがあります。
財産を牛耳っている祖父に誰も逆らえないと、
両親は、祖父の顔色を伺うことに必死になり、子どもより祖父に目が向いてしまう。
言い換えれば、子どもを守る第一責任者であるはずの両親が、親であることよりも、祖父の子どもでい続けることを優先させる状態になります。
困ってしまうのは、子どもです。とても寂しい思いをすることになります。
別の家族では、子どもが親にお金を要求する。ほとんどの親が、無駄使いを嫌い、お金を渡そうとしませんが、「お金をくれないのなら、家を出て行って、危ないバイトをする」と脅され、お金を渡してしまう母親がいました。
これは、暴力と同じで金額がエスカレートしていきます。その子の周りは、お金目当てで近寄ってくる人ばかりで、その子も友達と称する人から脅され、お金を渡していました。
お金は生きていくために必要ですが、持っているお金が増え続ければ幸せになれるわけではありません。お金は、助けにもなる時もあるし、毒にもなることをよく覚えておくことをお勧めします。
子どもは、大人の本心を見破ることが得意です。「私より、お金の方が大事なのね」と思わせたくはありませんよね。
家族感覚
家族感覚
あなたは、「家族を紹介してください」と尋ねられたら、誰を思い浮かべますか?
家族と親戚では、気持ちが通う距離感はが違ってくると思います。家族はより親密。親戚は親しい関係もあれば、疎遠でいつ顔を合わせたか思い出せないということもあるでしょう。
家族でも、なかなか顔を見られていないということも起きるでしょうが、気持ちの上での距離感は、全く違うのではないでしょうか。
私は、何を持って家族と感じるようになるのだろうと考えることがあります。
その理由に「実父」の存在があります。父とは一緒に暮らしたことがありません。中学になるまで父の顔は写真でしか知りませんでした。中学から父と食事するようになり、亡くなるまで孫を交えての交流をしてきましたが、食事をして終わることがほとんどでした。交流の時間は、あっけなく終わり、その積み重ねでした。孫である私の子どもが祖父をどう感じているかわかりませんが、私にはよそよそしい感覚が付きまとっていて、父とは思えますが、家族と言われるとピンとこないというのが正直なところです。父を嫌っているわけでもないのですが、家族だと言われると、どうしてもしっくりきません。
では、母親はどうでしょうか。母子家庭で育ったので、母は家族という感覚はあります。子ども時代は、母から離れたくて仕方がなかった時もありましたし、母の考えを押し付けられることに嫌気がさしていましたが、今はほどよい距離感で過ごせています。
家族の感覚は、良いイメージだけで成り立っているわけでもないのですね。
私は、「家族」と言われて、一番しっくりくるのが夫と子ども達です。子育てに追われる時期はとうに過ぎ、子どもはそれぞれ成人して、自分の道を歩いています。
そして、一緒に暮らしていた里子ちゃん。離れて暮らすようになってからは、家族と呼べる立場でなくなってしまいましたが、一緒に出かけたりしているので、里子の顔を見ると「家族」の感覚がよみがえってきます。父と同じように限られた時間の交流ですが、感覚が全く違うのは、不思議だなと感じます。
「家族」は、良くも悪くも「特別な存在」なのでしょう。
日々の物語を一緒に紡いでいる感覚を共有できる相手。
そして、誰よりも理解してほしいと願い、期待してしまう相手。
血のつながりがあれば家族だと感じられるわけではない。
娘に「家族」と言われたら?と問うと、
犬と猫もしっかり含まれていました。
モノ言わぬ相手ですが、感情を伝えてくる相手でもあり、共感します。
私は、親として子どもを育ててきた家族に、強い思い入れがあります。
子どもを必死に育ててきた感覚は、大きな意味を持っていて、何物にも代えがたい。
だからきっと、息子や娘が新たな家族を築き、孫が生まれても、子どもへの想いは変えられないような気がします。
孫が天使のように可愛くても、それはまた別の話。
自分の母親や知人を見渡してみても、育ててきた子どもへの情愛は気持ちの底に残り続けているように映るので、あながち間違いではないでしょう。
家族は、あなたにとって特別なもの。
だから、気持ちがわからないと不安に感じる。
気持ちがわからないと感じている相手も、あなたを家族と感じているなら、それだけで特別な相手という感覚を抱いているものです。
里親家庭の物語2 家族は生き物
里親家庭の物語2 家族は生き物
立命館大学主催のフォスタリング・ソーシャルワーク専門講座で、前回に引き続き父と娘と私の3人で話をさせていただきました。今回は、兄のコメントを紹介しました。
兄のコメントは、里親をすることに反対だった、里親をして得るものは何もなかった等、里親をしたいと私が言い出した時は、あまり深く考えずに「いいよ」と言っていました。小学6年生でした。20歳を超えて、働き始めた今だから感じていることを書いたのでしょう。
兄のコメントは、同じ実子の立場で共感できる面もある娘が代弁をしました。
●共感できる部分
両親以外の周りの大人が里親をすることについて理解するのは難しかった。父母にではなく、聞きやすい子どもに尋ねてきた。
「結局何しているの?」「いつまでいるの?」「これからどうするつもりなの?」
大人たちは、トラブルに子どもを巻き込みたくなりと行動します。
子どもから見れば、聞いてはいけない、大人の顔色や空気を読む。
何が起こっているのかわからない。
兄のコメントの中には、誤解がかなり多く含まれていました。
娘は、里姉として話す機会があり、その打ち合わせをしていく中で、実際に起きていた経緯を知っていきましたが、兄は偏った情報だけで判断しているのだと思ったと話していました。
●娘と兄の違い
それは、里親制度を知ろうするかどうかだと話していました。
他者の考えに同調して終わるのではなく、自ら知ろうとするかどうかが違う。
兄は、プラスになることが多くないと認められないと思っているようだが、私は里親家族をしてきて、しんどいこともたくさんあったが、嬉しいこともあった。その経験も含めて今の私がいる。なかなかできない経験をしてきたという自信を持っている。だから、得るものは何もなかったという言葉に共感はできない。
娘は、中学の時に大人も友達も信じられなくなった時期があったそうです。
それもあって、高校は登校に1時間かかる所を選びました。制服がなく、自立と規律を重んじ、自由にする代わりにやることは自らやるという人が多かったそうです。そこの友達に唯一里親のことを話した友達がおり、その子は、その場ですぐに里親制度を調べ始めたそうです。その行動に娘は救われ、また人を信じようと思えるようになったそうです。
娘は、里姉としての経験を何度か話してきましたが、今回の講座で初めて話しながら涙を浮かべました。大人の間で板挟みになり、人間不信になった時の自分が蘇ってきたようでした。
そして、その子どもたちの苦悩に気づけなかった母としての自分が不甲斐なく、私も言葉が詰まりました。
里親家庭の体験を話すと、ひりひりします。
父は、自分に起きたかことを語りながら、いろいろなものに向き合おうとしているように見えます。
娘は、ガラスのハートの持ち主ですが、たくましく生きようとしています。
息子とは、いろいろな話を語り合いたいなと思います。
家族3人で話す機会は2回目でしたが、自分たちでも展開が読めません。
家族や自分が話す言葉を聞き、感情が揺さぶられます。
今だから見えること、思うことがあります。里子と離れて暮らすことになりましたが、一緒に出かけ、そこで甘えてくれる姿に私が救われています。
家族は里子も含めて、一人ひとりの人生が折り重なって作られていて、そこに終わりはなく、生き物として変化し続けるものだと実感しました。
何とかなる選択肢
何とかなる選択肢
漠然と幸せになりたいと願ってしまいますが、人は何をしている時、幸せだと感じられるのでしょうか。
仕事、スポーツ、子育て、趣味等、何かに打ち込んで成果を得られると、充実感を味わい、幸福感を得られます。
しかし、人間関係がぎくしゃくしたり、自分への期待が大きくなり過ぎたり、逆に見放されたと感じたりすると、ストレスの割合が増し、自分の中のバランスが崩れ、僅か数か月程度でも、体調に現れることがあります。何かを成し遂げようと積み重ねていくことは長い時間がかかりますが、崩れていく時は、ガタガタと音を立てていくかのように儚い。
災いと感じるような出来事は、誰にでも起こります。そして、平気だと思っていても、自分が受けたダメージは予想以上に大きいこともあります。とても傷ついた時、誰かに助けを求めたくなりますが、誰かと一緒にいた後、その反動か、余計に寂しくなったりします。気持ちの調子が悪い時は、何をしてもスッキリしません。些細なことで凹んだり、傷ついたり、焦ったりしてしまいます。
その状態から抜け出したい。打破するためには、どうしていけばいいでしょうか。
例えば、信頼していた友人に裏切られ、仕事もお金も失くして途方にくれた時、あなたなら、どのような考えが浮かびますか。
① もうどうすることもできない。何もかもお終いだ。
② こうなったのは、あいつのせいだ。許せない。
③ 私がうかつに信じたからこんな目にあってしまった。全部私のせいだ。
④ もう何も信じられない。何もかも投げ捨てて逃げてしまいたい。
⑤ 起きたことは仕方がない。
あなたらなら、どの表現に親近感を持てますか。
どれもとっさに頭を過る言葉だと私は思います。ショックを受け、落ち込み、周りが見えなくなる状態になる。いつまでも自分を責め続け、お終いだ、無理だ、許せないという考えに縛られると、自分の傷に塩を塗り付け、傷はどんどん深くなってしまいます。
傷ついたら、立ち直ろうとすればいい。
先ほどの考えも、
① 日々、状況は変わるものだし、人生は続く。そんな簡単に終わりはしないか。
② 人のせいにしていても状況は変わらないしな。
③ 結局、誰よりも自分を責めて許せないと思っているのは、私自身か。私が私の一番の敵になっているよな。
④ 逃げたところで何処に行く?しんどさを先延ばししているだけだよな。
⑤ さっさと自分ができることをしよう。小さくていい、行動しよう。
と、気持ちを切りかえて考えることができます。気持ちを切りかえるまでに時間は必要ですし、切り替えているつもりで、できていなかったという時期もありますが、自分を変えていくことは可能です。
自分以外の誰かを変えようとしても上手くいきません。生きていれば、楽しいことは少なく、試練にたくさんぶつかります。人との関係も、この関係がずっと続けばいいのにと思っても、時間と共に誰もが年齢を重ね、関係性も変化していきます。この変化は誰にも止められません。
何とかしたいなぁと思ったら、小さな喜びをみつけられる自分を手に入れるために動き続けることなのだなぁと感じています。