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2024-11-30 21:55:00

えっ、そんなこと言った?

 えっ、そんなこと言った?

 

 忘れられない言葉というのは、誰にでもあると思います。人生を変えるような言葉や一生忘れないからな覚えておけと怒りに震えるような言葉かも知れません。

 

私が中学の時に、壁にいたずら書きをされてショックを受けていたら、友達が「あんなの気にしなくてもいいよ」と言ってくれてその言葉に救われて今も感謝しているのですが、その友達はそのことを全く覚えていませんでした。

 

母からは、子どものためではなく親のためだと感じる事をよく言われて、しんどく感じていましたが、母親も90歳になり、だいぶ性格が丸くなってきました。

 

その母が、「近所の人が遊びに来てと言うのだけど、行くと苦労話ばかりするからいややねん」と言うので、「無理して行かなくてもいいと思うけど」と返しました。

 

「そうよね。友達は離婚して女手一つで子どもを育てて、うどんしか用意できない時があって、麺は子どもに食べさせて、私は汁だけで我慢したのって言ってね、苦労したことを子どもに聞かせたいと言うのだけど、どう思う?」

「子どもさんは、あんまり実家に来ないのかな?そんな話をされたら余計に遠のきたくなるね」

「だよね。私もそんな話しない方がいいと思うから、やめときなって言ったのよ」

 

「ふーん・・・・・。ねぇ、子どもの頃、私に言ったこと覚えている?私と同じ考えじゃないなんて許せないと詰め寄ってきたこととか」

「えっ、そんなこと言ってた?全然覚えてない」

「何度も言われた」

「えー、そんなこと言ったかなぁ」と首をすくめる母。

 

 私には迷惑この上ない言動だったですが、言った張本人はきれいさっぱり忘れていました。

 

そういう私も娘を叱ったことを覚えていませんでした。娘が小学生の時にウサギを飼っていて、ゲージから出した時にウサギが電気コードをかじって火花が飛び、その時に私が娘にすごく怒っていたと言うのですが、全く思い出せません。怒るとしたら、ウサギを出すと危ないからちゃんと見てねと言ったのに見ていなかったことを叱ったのでしょう。

 

同じ場面でも言われた方は忘れられませんが、言った方は特別なこととして認識していないのか、覚えていないという対照的なことが起きるのだと改めて認識しました。

自分も含め、都合よく記憶する人間の逞しさに驚きます。言った側と言われた側から見える風景は、全く異なります。

その言葉で傷ついた方は、忘れられない体験として刻まれますが、言った方は時間の流れと共に自分をいい人間にしておくために都合が悪いことは、無意識に忘れ去ろうとするのかも知れません。

 

私の母親は、自分を良い人間だと信じ、人の気持ちがわかり過ぎてしまうから考え過ぎてしまうのだとよく言っています。人の気持ちがわかり過ぎてしまうのなら、子どもにあの言動は取れないだろうと突っ込みたくなりますが、誰もがより良い人になりたいと願い、行動しているのだと思います。そこに人間関係のすれ違いやトラブルが起こるのですが、自分を悪役に認定するのは至極難しいことなのですね。

2024-10-31 20:20:00

声かけの順番、間違っていませんか?

 

声かけの順番、間違っていませんか?

 

 私は家族と話をする時、いつもより気を抜いていることが多いです。外では、無意識の内に態度も言葉も選んで、いい顔をして過ごしているので、家に帰ったらリラックスしたいと思ってしまいます。

 

 親しき中にも礼儀あり

という諺があります。家族と世間話をする分には、気を抜いていても大丈夫ですが、感情が触れるような話題の時、相手を急に怒らせたり、機嫌を損ねてしまったことはありませんか。家族は、気軽に話せてわかってもらえる存在と思っている分、わかってもらえていないと感じた時の怒りは、倍増します。

 

 私も娘から人間関係のことで相談を受けた時、アドバイスをしようとしたら

「今は、そういう正論を聞きたいわけではないの」

と叱られてしまいました。疲れている中、娘の話を頑張って聞いていたのに怒られて、サウンドバックになったような気分でした。でも、充分に娘を落ち着けていなかったのだと反省もしました。

 

気持ちを落ち着かせて、冷静になれ、やる気を感じられるようになるまで私は聞き役に徹するべきでした。

 

「そんなことがあったの」

「腹が立つね」

「それはしんどいね、疲れたでしょう」

まずは、娘の状態を代弁して落ち着くのを待つ。

 

落ち着いたら、相手のことをシュミレーションしてみる。

「その人は、何でそんなことをするのだろうね」

「そんな事をしても得にならないのにね」

「あなたに嫉妬しているのかな」

冷静に状況を見ることができれば、今後の行動を考えることができます。

ここまでの過程は、丁寧に時間をかけてすることをお勧めします。

答えを早く出そうとタイミングを見間違えると、人間サンドバッグ行きになるので。

 

今後のことは、後日にゆっくりお茶でもしながら話してもいいでしょう。

悩みを抱えている時は、子どもも大人も信頼できる人に聞いてもらいたいし、わかって欲しいのです。

 

小さい子どもでも手順は一緒です。

理由もわからず泣き叫ぶ子どもに「恥ずかしいから、泣かないの」なんて言ったら余計に泣き出します。

「あら、どうしたの?悲しくなっちゃった?痛いのかな?」

「これ、嫌やった?」

「泣きたくなっちゃったの、よしよし」

「大丈夫?」

 

泣いている理由なんて、子ども自身もわからなくなっているものです。

まず、気持ちを落ち着かせることを目的にしたら、声かけも楽になります。泣き止ませようとするとその気持ちが子どもに伝わるのでしょう。自分を否定された感覚を受けて、泥沼にはまっていきます。

 

子どもに伝えたいこと、教えていきたいことがたくさんありますが、伝える順番を間違えるともったいないことが起こるので、手順は大切にしたいものです。

2024-09-30 19:58:00

猫の話

 猫の話

 

 

 

 対人援助学マガジンでも書きましたが、可愛がっていた保護ネコが白血病を発症して7歳で逝ってしまいました。まだまだ若くて、もっと一緒に過ごせると疑いませんでした。

 

 

 

異変を感じたのは息づかい。いつもより早くてぜぃぜぃしているように見えるけど、夏バテだろうか。

 

動物病院に連れて行くと、胸に水が溜まっていました。

 

水が溜まるのが落ち着いたのですが、食欲がなく見る見る内に、ガリガリになっていきました。

 

再度動物病院に連れて行くと、血液検査をしましょうとなり、

 

「残念だけど」と医師が語り始め、白血病が発症しているとわかりました。

 

その翌日に逝ってしまいました。

 

 

 

 覚悟はしていたつもり。

 

 でも、寂しくて仕方がない。

 

 込み上げてくるものを抑えられない。

 

 

 

 家に来た当初は、怯えて何処に隠れたかわからなくなって家中探し回りました。

 

 月日が経ち、撫でられると喉を鳴らしてくれるようになり、

 

 名前を呼べば、ニャーと鳴きながら来てくれるまでになりました。

 

 とても可愛い子でした。

 

 

 

 逝ってしまってから、猫のトイレやエサ箱を片付けた。

 

 トイレがなくなり、その場所がガランと広くなった。

 

 名前を呼んでも、返事はない。

 

 私の気持ちもガランと何かが抜け落ちた感じがします。

 

 

 

夫が、「待っている猫がいるのではないか?」と言い出しました。

 

また、保護ネコを迎えることに異議はありません。

 

けど、すぐに連絡を入れる元気は起きず、すぐに連絡を入れられなかったです。ただ、鳴き声がしない家があまりに寂しかったから、保護ネコがいる所に連絡を入れた。すぐに子猫の兄弟か1歳過ぎの姉妹の写真が送られてきました。

 

 

 

夫にどちらがいい?と尋ねると、

 

 「貰い手がつきにくくなるだろうから、1歳過ぎの姉妹にしよう」と言った。意外だった。そんなことを考えているのか。猫の成長は早いから、家においでと思ってくれたようだ。

 

 

 

 ゲージを洗って組み立てて、片付けたトイレを引っ張り出した。

 

 姉妹が来て約1週間。警戒は続いているけど、撫でられて気持ちよさそうにもしてくれる。シャーと怒られることもあって、少し凹む。

 

 同じ猫でも、この姉妹は置いてあるモノをいっぱい落として、何故かゴミ箱に入っていた。前の猫はモノを落とさないタイプの子だったのかと改めてわかった。

 

 

 

姉妹猫を見ながら、亡くなった猫が恋しくなる。

 

新たに猫がやって来たら、先住猫を忘れてしまうのかと思ったけど、違った。

 

姉妹猫はかわいいし、慣れてくれるまでの過程が楽しみ。

 

そして、先住猫も隣にいて恋しさも一緒にいる。

 

何となく、その煮え切らない感情を大切にしていたい。

 

それは、私がひそかに思っていればいい。

今を生きている猫たちには、自分が一番可愛がってもらっていると思うように接しよう。

2024-08-31 22:35:00

わかるために、知ろうとしている?

 

わかるために、知ろうとしている?

 

 この世には、知らなくても済むことが数多くあります。皆と同じことをしていれば、何事もなく過ごせる。だから学校の成績を伸ばして、いい大学に入り、安定した所に就職しなさい。それで人並みの生活が保障されるから。

 

 本当にそうでしょうか?

 

 団塊世代の家族像は、男は外で働き、女は家を守り、子育てをする専業主婦が主流でした。それが幸せなのだと言われていました。本当にそれが幸せならば、今も専業主婦が憧れの的として語られているはずですが、そういう声は聞こえてきません。

 賃金が年功序列ではなくなり、女性が社会で働くことが当たり前になり、スマートフォンを持ち、生活を快適にするモノが次々と発売され、夫の収入だけで家族を養うことが難しくなり、時代背景の移り変わりが、生活スタイルに大きな影響を与えているとわかります。

 

 その時代、時代で世間が言う「幸せ」は変化しています。

 

 子どもの頃は、花嫁修業、結婚は25歳まで、寿退社という言葉をよく耳にしましたが、今は死語です。贅沢三昧できる専業主婦ならなってもいいと思う人はいるでしょうが、質素な暮らししかできなくても専業主婦になりたいと希望する人は稀でしょう。

 

 今は、時代の変化が大きくなっています。

 

スマートフォンの存在は、時代の変化を加速させました。親が感覚的に持っている当たり前は、今の子どもには通用しません。そして、予想もしないことをやってのけるのが、子どもというものです。子どもを少しでもわかりたいと思うなら、自分の当たり前を見直す必要があります。

 

女性が社会で働くことが当たり前になる以前は、社会で働こうとチャレンジした人がいます。その人は、周りから馬鹿にされ、周りと同じように生きるように説教されてもやり通して、後輩に道を作ったのです。

 

今は、自分が知ろうと行動すれば、いろいろと調べられます。

 

子どもが興味を持っていること

気になった職業についている人の人生

 行動の意味するもの 等

 

 ちょっとでも、心にひっかかったものを知ろうとすることは、他者を柔軟に捉えることにつながります。

 

 それをするためには、自分の気持ちに意識を向けることからです。

 意識しないと、何かを感じても流れてしまいます。子どものことが心配なら、何が自分を不安にさせているのか考えてみればいい。

 親の当たり前に子どもが反発していることが原因だったりします。その当たり前について調べるのもいいでしょう。

 

 人とのコミュニケーションが上手くいかないのであれば、どの場所で、誰と、いつ、どの状況で起きるのかを整理するだけで見えてくるものがあります。

例えば、学校ではないのに家では不機嫌になり、暴れることが多い。運動会の練習が始まった頃から、だんだんと悪化している。

学校で、皆に合わせようと頑張って、上手くできなくて苛立って、我慢して帰って来ているのかもしれません。

 

相手に変化を求めても上手くいかないものです。まずは知ろうとするために自分ができることを探して、実行する方がいい循環がやってきます。

2024-08-01 00:24:00

何て言われてきた?

 

何て言われてきた?

 

 あなたは、親に言われてきたことでどのような言葉を思い出しますか?

 私は、「恥ずかしい」「恥ずかしい事しないで」です。褒めてくれたこともあると思いますが、ネガティブな言葉の方が先に出てきます。きっと息子や娘も私と同じようにネガティブな言葉を覚えているような気がします。

 これは言った方と言われた方の違いですね。親としては、子どもをいっぱい褒めてきたつもりでいますが、子どもの方は気持ちを傷つけられた言葉を根に持ちやすい。

 

 ネガティブな事を子どもに言ってしまうことは、誰にでもありますが、その頻度は気にした方がいいのではないかと感じます。

 「ダメねぇ、あなたは何をやらせてもできないわね」

 「可哀想ね」

 「あなたのせいでいつも上手くいかなくなるわ」

 「わがままで困ったものね」

 「あなた一人じゃ何もできないのだから」

 「あなたのためを思って言っているの」

 

 などと言われ続けると、自分を信じられなくなります。

 何もできない私のできあがりです。

 これらの言葉は、私のためではなく言っている人のためのものです。言っている人自身が無能ではないと確認するために、すぐそばにできない人を作り、自分の存在意義を感じる役割を与えようとしてしまうのです。

 

 私の母は、90歳になりますが子どもを自身の分身として扱いたい気持ちが続いているようで、ランチに出かけると、私と同じものを注文したがります。母が好きではない味だとわかっているので、違うものにした方がいいと伝えると「あんたは冷たい」と責めます。母にとって都合がいい出来事には、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えてくれますが、意見が分かれることを言うと母に利益があっても責められます。子どもの頃、母が考えていることと違うことを言うと叱られたことを思い出します。些細な場面から、母が私をコントロールしようとしていることを感じます。母自身も無意識にしていますが、落とし穴にはまらないように用心した方が賢明です。

 

 子どものためと口では言いながら、実際は自分を守るために子どもの行動をコントロールしようしていることが見えたら、そこの土俵に乗らないようにしたらいいですし、自分が子どもの行動を知らない間にコントロールしようとしているかもと心配になったら、子どもとの距離感に幅をもつように意識することが大切です。

 自分自身のものの見方を広げるように感性を磨きましょう。本を手に取るだけでも、自分が体験していない世界に触れることができます。そして、子どもには様々な社会に触れる経験を大事にして欲しいと感じます。世の中は理不尽なことが多いですが、その中を生きる術も覚えていくことが大切になります。常識や社会の価値観以外の生き方や道があることを知ることが支えになります。

 

様々な人の生き方を知り、それを尊重していくと、自分から出てくる言葉が変わります。

 同じ出来事でも、見える部分が違ってくるので、この子の頑張りや凄さや素敵さが見えやすくなります。声掛けをする方もネガティブよりもポジティブになれることを願っていることが多いですし、それができると相手に信頼を抱き、自分に自信を持てるようになれるようで、いい表情になります。その顔は、とても美しいと感じます。

 

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