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コミュニケーションは、得意ですか?
コミュニケーションは、得意ですか?
コミュニケーションが苦手だと聞くことは多いですが、コミュニケーションが得意と言う人にはほとんど出会ったことがありません。とても上手だと感じる方でも、自分のマイナス面があると思っているものです。
人と関わらなければ生きてはいけないけど、ずっと一緒にいると息苦しくなる。
誰にでもある感覚で、この両極端に揺れる気持ちが自信をなくさせるのでしょう。そして、誰もがコミュニケーションにある種の苦手意識を持っている。それなりに社会と接点を持ち続けられていれば、まずまずと言えるでしょう。
いろいろな親子と出会い、引っ込み思案、お喋り、目立ちたがりの子、知的しょうがいや発達しょうがいのある子と、出会う子どもの数だけ個性がありました。親御さんの方も様々で、「何怖がっているの?何にも怖くないのだから行ってきなさい」と言う人もいれば、子どもの不安に我慢強くつきあっている人もいます。子どもにつきあおうとすると時間がかかるので、申し訳なさそうに謝ってくるので、「気にしなくていいですよ。初めての場所だもんね、知らない所いやよね」と子どもに声をかけると、ホッとしたような表情を親御さんが見せます。
この親子の物語には、悲しい経験もいっぱいあったのだろうと感じます。
その悲しい物語に付随するのでしょうが、
「子どもが行きたがらないから辞めました」
「子どもがやりたがらないからしていません」等
子どもの意志を尊重してしないという選択肢を繰り返している親子もいます。
子どもの意志を尊重していると言えば聞こえがいいですが、子どもにとって必要なものまでもなくしてしまうことになっている時があります。
わかりやすく言うと、命に係わる治療が必要な子どもに、子どもが嫌がるからと治療しない選択肢を選べるでしょうか。
子どもが嫌がるからという言葉の裏には、親自身が避けたい気持ちが潜んでいることがあります。私も、息子が幼児の時にサッカーチームに入ったのですが、やりたがらないからと辞めたことがあります。今思い返せば、スポーツ観戦をあまりしない私の忍耐のなさの方が大きな理由だった気がします。子どもが楽しそうにやってくれたらと内心思っていましたが、私の負のオーラが子どもに伝染したのかも知れません。子どもは親の意向を無意識の内に汲もうとします。親のネガティブな感情が子どもに影響を与えるのですね。
コミュニケーションが下手だと感じる時は誰にでもあって、そこを悲観する必要などないと教えたらいいのだとわかってきました。親は、子どもが社会と関わっていく道を一緒に探し、そこを護る責任があるのだと感じます。
ひとりぼっちは寂しい?
ひとりぼっちは寂しい?
「うさぎは寂しいと死んでしまう」と言いますが、あれは都市伝説だそうです。人は、古来から群で暮らしていますし、独りぼっちと感じると寂しくなるので、動物を擬人化して見てしまうことがありますよね。
あなたは、「ひとりぼっち」にどのようなイメージを持っていますか?
私は、ひとりで寂しいと感じる時もありますが、ひとりになりたい時もあります。
気持ちが落ち込んでいる時に誰かといて、ひとりになると余計に寂しくなったり、誰かといても寂しさが抜けなかったり、思うようにいきません。
それは、その時の自分のコンディションが影響するなと感じます。
ある人から、一人でいるのは寂しいだろうからと親切心で何回か夕食に呼ばれることがありました。最初の内は受け入れることができたのですが、だんだんと「何で、私の寂しさをこの人が決めるのだろう」と違和感という文字が浮かびました。私が寂しいと疑わない正義感を有難迷惑と感じるようになっていきました。
私も寂しさを感じないわけではありません。
身体を壊して休息している生活の時、他者との関わりが持てない環境下が寂しくて、 人恋しくなりました。
でも、仕事が始まり何かと人と関わる場所に身を置くことが増えると、新たな人間関係が生まれ、煩わしくなることもあります。
我ながら、身勝手なものです。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、置かれた環境で感じ方が違います。
ひとりでいることと人との関わりのバランスは、人それぞれ違うものでしょう。
その人の気持ちを他者が決めつけることはできません。
寂しいというような感情は、自ずと出てくるものです。
ただ、その感情をネガティヴかポジティブか、どちらの方向に位置付けるかは、自分で決められるものでした。
ひとりぼっちを世の中が言うように寂しいものと決めつけるのか。
ひとりぼっちの時間を楽しい時間、落ち着ける時間、心地よい時間と捉えるのかは、
私自身が決められる。
他の人の意見は、関係ない。
空が青くてきれいだな。
好きなものを自分のリズムで楽しめて贅沢な時間だな。
そんな言葉を口に出すだけで、自分の中の何かが動き出します。
世の中で当たり前のように言われていることの多くが、実は都市伝説なのでは?と感じます。自分がどう捉えるかを意識し続けていれば、私はもっと自由になれるのでしょう。
パワー
パワー
前々回は家族システムの境界(バウンダリー)、前回はサブシステムについて書きました。今回は、パワーについて紹介します。
パワーは、文字通り「家族の中の力量」について注目することになります。パワーというと家父長制度のようなものを想像するでしょうか。それも一つの形です。家族の中の選択肢がどのように決まっていくか考えてみてください。今の時代は、誰かの一存だけで決められることは少なくなっています。とても強い祖父や祖母が存在する家族もありますが、減少傾向にあるようです。
あなたの家族は、子どもの進学や就職を決める時、何を優先しますか。子どもの意志、親の希望、世間体、いろいろな要素に影響を受けるものですが、どの部分の割合が高くなるかは、それぞれの家庭で違います。
家族としての選択肢に「お金」が深く関与することがあります。現代社会は、どれぐらいお金を持っているかで、生活のモノの豊かさが変わってきます。安定した賃金が得られる会社に入るためには、勉強をしていい大学に受かることが大切だと感じている方は多いでしょう。若い時に勉強が嫌いでしなかったという人でも、大人になってからもっと勉強をしておけば良かったと後悔し、子どもには勉強をさせようと躍起になっている方を見かけます。親になると、子どもの時の気持ちをどこかに置いてきてしまうようです。
その時世を受けてか、子どもが大金を使ってしまうという相談を耳にすることが増えている印象を受けています。そのお金の使い道は、ブランド品の購入や推し活に使う等、目新しさはありませんが、何十万という額の大きさに驚かされます。親も子どもが大金を使うことを好みません。子どもに大金を使わせないようにしますが、お金を渡さないと、悪い関係に引きずり込まれるのではないかと不安になり、最終的にお金を渡してしまう。これが繰り返されると、暴力と同じで、どんどん要求する金額がエスカレートしていきます。
この場合は、お金を握っているのは親ですが、出させる方法を子どもは心得て、子どもの方が親よりもパワーが強くなっています。親は子どもを護るべきものですが、逆転現象が起こっています。
時代の変化と共に、腕力や財力を持っている人が、パワーを持てるという単純なものではなくなってきています。時には、被害者であることをアピールすることで、周りをコントロールする人もいます。悲劇のヒロインなので、特別扱いされることを望みます。
家族のパワーを見ようとする時、複雑な関係性を紐解きながら、お金がどのように巡っているのかを見ようとすることが大切です。人が集まれば、必ず関係性が生まれます。先ほどの子どもが大金を使う例でも、親に自分を子どもとして護って欲しいと願っているのではないかと感じる時があります。親は、どのような理屈を並べても、ダメなものはダメなのだと伝えるパワーがいるのでしょう。子どもの意志を尊重することも大切ですが、どこからがダメなのかを明確に伝えていくことは、親の責任なのだろうと感じています。
サブシステム
サブシステム
前回は家族システムの境界(バウンダリー)について書きました。今回はサブシステムについて紹介します。
サブシステムとは、家族という大きなシステムの中で、より小さなシステムの単位のことです。夫婦、両親、きょうだいの関係に注目をします。
結婚して夫婦になり、子どもが生まれて父母となります。夫婦は男女の関係で、両親はその名の通り親としてどう機能するかが求められます。離婚をしたら、夫婦サブシステムはなくなりますが、両親サブシステムは残ります。
子どもができると、母親は夫よりも子どものことが気になるようです。子どもを護るために全力を尽くそうとするのが、母親なのかもしれません。子どもは、十数年したら親よりも友人や恋人を優先させるようになります。子どもが自立していくのは嬉しいことですが、一抹の寂しさも運んできます。
子どもが自分の世界を展開させるようになると、両親サブシステムから夫婦サブシステムが機能していくことが求められます。結婚当初は、好きあって夫婦を始めますが、子どもの巣立ち後は、恋愛感情も炭のようになっていて、お互いにどう向き合えばいいのか悩むものではないでしょうか。お互いに相手にやさしい気持ちを持てるような工夫がいります。相手に向けた言葉をどれぐらいかけられているでしょうか。その言葉に自分の愛情をのせるのではなく、関係を円滑に回すイメージで声をかけられることがポイントになります。
「ありがとう」「好き好き」「大好き」「素敵だね」「頑張っているね」「すごいね」
言われて嬉しくなるような言葉。口で言いにくければ、文字から始めてみるのも一つの手です。
サブシステムにはきょうだいサブシステムもあります。子ども同士の関係です。仲がいい時もあれば、ケンカする時もあるものですが、きょうだいの関係は親の影響を受けやすいものです。きょうだいを平等に扱っているつもりでも、
「あなたの方がお兄ちゃん(お姉ちゃん)なのだから、下に譲ってあげなさい」
「お兄ちゃん(お姉ちゃん)は、できるのに、あなたはどうしてできないの」
と、口走ってしまうことが起こります。
「ママもパパもお兄ちゃん(お姉ちゃん)ばかり気にしている」
「ママもパパも妹(弟)の方ばかり可愛がって・・・」
と、子どもから叱られます。上の子も下の子も自分より相手の方に両親の愛情が注がれるのではと怖がります。親の愛は、伝わりにくいものです。
サブシステムが機能するためには、関係のバランス感覚が必要になります。関係を良くしようと相手が変わることを求めてしまいがちですが、手っ取り早く変えるには自分が変わることです。自分を変えることは、私にしかできません。そして、その変化は波紋のように広がり周りに影響していく。誰もが相手といい関係でいたいと願っています。その出し方で、その場の空気の重さが変わります。誰とでも、関係を築いていくには、地道な努力が必要ですね。
境界(バウンダリー)
境界(バウンダリー)
家族システムの中に境界(バウンダリー)、サブシステム、パワーという視点があり、これらが家族の中に機能しているかどうか考えます。今回は、その中の一つの境界に注目してみます。
◆内と外の境界
家の中と外に境界が保たれてるか。例えば、子どものたまり場になっていて困っている場合、この境界が守られていないことになります。
親が、子ども達に「この家のルールとして、この時間以降は帰ってもらいます」と宣言が通っていれば、夜遅くまでたまり場になることにはなりません。
◆世代間境界
これは、サブシステムが機能しているかにも関わってきますが、子どもにトラブルが起きた時に母親が自分の親(祖母)に相談をして、父親はトラブルについて何も知らされていなかった。あるいは、母親自身の悩みを子どもに相談をして、夫は何も知らされていない等が、境界線破りとなります。
サブシステムとは、家族という大きなシステムの中で、より小さなシステムの単位のことです。夫婦、両親、きょうだいに注目をします。
家族の方の話をお聞きする際、家族システムの視点に注目をしますが、家族の数だけシステムのあり様が違います。子どもの問題について両親で相談しているお宅でも、方向性が揃わないことが多々起きます。価値観は人によって違うのは当たり前ですが、擦り合わせることは難しいようです。そうなると、ファミリーセラピストを自分の味方につけようとする方がいます。もちろん、露骨に味方についてくださいと言うわけではありませんが。
ある父親が「私や祖母が言っても聞く耳を持たないのです」と母親の困りごとを語ります。その言葉の先にセラピストを巻き込みたい気持ちが伝わってきます。子どもの問題に向き合う際、父母でタックを組むのではなく、父と祖母が組んでいます。
また、父母で話し合っていても、「どうしたらいいですか?」と正解を求められることがあります。他の相談機関ではこうしたらどうですかと言われたと説明されますが、その提案を実行に移すまでに至ってなく、目の前にいるセラピストに同じ質問を繰り返しているとわかります。父母でタックを組んでいますが、家族としての方針を外に委ねようとします。確固とした正解がこの世の中にはあり、それを間違えたくないと思っているのかもしれません。何が正解なのかわからないのが、子育てというものです。子どもが、自分から進んで勉強をするようになる方法があるのなら、これだけ多くの学習教材や進学塾、家庭教師が存在することはないでしょう。
両者とも外に権威を求め、内と外の境界が曖昧になっていく印象を受けます。
両親としては、子どものために選択肢を間違えたくない、これ以上悪い状況になることを阻止したいという切実な気持ちはわかりますが、
子どもが頼りにし、向き合って欲しいと願うのは両親です。
親自身が子どものために自分たちの行動を振り返り、視野を広げようと努力し始めると家族に変化が起こり始めます。
その行動は、親が子どもと向き合おう覚悟を決めたのだと思います。
そして、真摯に自分と向き合おうとする親を子どもが感じることができるのでしょう。