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子どもが作る共同体
子どもが作る共同体
あなたは、人間は元々善なのか悪なのかどちらだと思いますか?赤ちゃんを見ていると、可愛らしくていつまでも眺めていたくなります。その天使のような微笑みからは性善説こそ正しいのではないかと感じます。その天使も火がついたかのように夜泣きをされると、こちらの体力が奪われてやはり性悪説の方が正しいのかも知れないと凹んでしまいます。
世間には、他者をだまそうとする人がいて、他の人よりも有利に立とうとする競争があって、何処に生まれるかで経済的格差や教育水準が変わる。世の中は不公平です。
子どもが友達の世界を持ち始めると、それまで頼りにしていた親を疎ましく思い、反抗的な態度を取られて寂しさや怒りを感じる親御さんは多いようです。子どもが親から離れようとすればするほど、子どもの将来が不安になります。
この子はどうなってしまうのだろう。
悪い道に突き進んでしまうのではないか。
私の育て方が悪かったのだろうか。
心配や不安で心が埋め尽くされてしまうと悪い方ばかりに考えが向いてしまいます。戻せるものなら正しい世界へ導きたいと思っていると、その雰囲気が伝わり、反感を買うでしょう。正しい道に戻したいと思っているのは、今の子どもを否定することになります。これでは親関係が回復しません。子どもも未熟なりに考えて、危険な区域に踏み込まないように用心しているという自負心があると、認めようとしない親への怒りが大きくなります。
進化論では、人類は歴史の大半を共同体で生活をしてきたので、この共同体の中で生き延びてきた祖先の遺伝子を受け継いでいると言われています。子どもが友達関係を重視するのは本能的にこの場で生きていかなければならないと感じて必死になっていると考えられます。
そして狩猟民族の共同体では、そこから追い出されたら「死」を意味します。共同体から追い出されないように目立たず、共同体の優劣の順位を上げるためにある程度は目立たないとならない矛盾する行動を取ろうと必死になります。現代は、暗闇で身を潜めて寝ることもなく、明日の食料が得られない不安がなくても、未来に不安を感じるようにできているそうです。
世界中にいじめやハラスメントが起きていることを考えれば、人は共同体の中での優劣の順位争いを本能的にしてしまっているのだと頷けます。
子どもは今の友達関係に共同体を感じ、そこが世界の全てだと信じているのでしょう。その子どもに世界は広いことを伝え、失敗をしてもやり直せる道があると教えたらいいのではないでしょうか。
親パワーの賞味期限
親パワーの賞味期限
生物から見た親子関係は命ある限り続きますが、親が子を護る関係はいつまで続くべきなのか考えさせられる相談を受ける機会が増えたように感じています。
外敵から我が子を守ろうとして親が盾になって子どもを抱え込みたくなる衝動が起こる気持ちもわかりますが、それが長い目で見て子どもにどのような影響を与えているでしょうか。
例えば、衛生管理。日本は、とても清潔な空間が保たれていますが、いろいろな菌を恐れて消毒し過ぎて免疫力が低下していると言われています。子どもの数が減少して、大人の目が子ども達を捉えることが以前よりも容易になっているのかも知れません。子ども同士のトラブルで、親同士が話し合って解決したという話を聞くことがあります。子どもも含めて話し合っているのならわかりますが、「あなたは何も心配しなくていいの、お母さんがちゃんと解決してくるから家でまっていなさい」と子どもが蚊帳の外に追いやられていたと聞いて驚きました。自分身に起こったトラブルが知らない間になくなっていたという経験から、子どもは何を学ぶのでしょうか。
私自身がその子どもの立場なら、無力で自分では何も解決できないと自信を失くすのではないかと感じます。次にトラブルに見舞われたら、親に話して解決してもらおうとするのか、それとも親にバレないように口を噤むようになるでしょうか。どちらにしても社会の中で生きていく力は育ちません。
ある親御さんは、子どもにしょうがいがあると診断され、療育や放課後等ディサービスの利用を拒みました。その理由は、「家に居た方が、この子が傷つかないから」でした。そして、その子はだんだんと学校に行かなくなり、高校中退をし、家から出ようとしなくなり、今後に不安を感じると相談に来られました。
親が高齢になっても親子関係のトラブルは起こります。父親は他界し、母親が80歳を超え、検査入院が必要になりましたが、一緒に住んでいる53歳の息子は、独身で無職、サービス関係者とも話そうとしません。母親も子どもの事が心配だからかと検査入院の日取りを決めようとしません。子どもは以前に働いていたこともあるようですが、結婚歴はなく、家を出て一人暮らしの経験もないそうです。子どもが心配とのことですが、息子さんは53歳です。もう子どもではありません。いつまで親に守られる子どものポジションでい続けるのでしょうか。
親が自分の事よりも子どもを優先して暮らす時期もありますが、子どもが自分の足で生きていける道筋を潰してはならないと感じます。子どもが巣立っていく寂しさや心配、不安は親自身が受け入れていかないとならないものです。子どもをいつまでも引き留めてはならない。子どもが小さいうちにいっぱい失敗をし、困ったら助けを求められる経験を積んでいくことが、子どもの生きていく術になります。
親の役割は、子どもが生まれたての頃は命を守る行動をしていきますが、だんだんと巣立たせるための道を導くものになります。子どもを傷つけないように子どもの前に立ち続けていたら、いつか賞味期限切れになり子どもにいい影響を与えなくなっていくことを覚えておきたいと感じます。
人は物語の中を生きている
人は物語の中を生きている
「話をしていたら、何となく整理ができてすっきりしました」
と言われたことが何回かあります。
問題を抱えている状態だと、自分の思いを爆発的に訴えかけてこられます。
例えば、私は人とコミュニケーションを取ることに苦手意識があって、今の職場に落ち着くまでに幾つか仕事を変わっているのですという話題の時、
「今の職場は、働き始めてどれくらいですか?」
「今の職場と前の職場の違いは何だと思われますか?」
「いつ頃からコミュニケーションが苦手だと感じていましたか?」等の質問をして話していくと、その方の中で整理や発見があったようで、解決策が出てこなくても「何とかなりそうです」と張りのある声で相談が終了したことがあります。
その時は、私の方があっけに取られましたが、同時に面白い現象だなと感じました。相談し始めの声は弱々しく、自身を認められないという雰囲気でした。この方は、周りから「お前はダメだ」「一人では何もできない」と言われてきたようです。今まで考えてこなかった違う視点で話をしただけですが、力強さを引き出してこられました。
この方は、自分の新たな展開の物語を紡いでいたのではないかと思います。相談を受ける方は、解決策を一所懸命探して伝えようとしたくなりますが、そこに落とし穴があるように感じます。
「どうしたらいいですか?」
「〇〇をするべきですか、しない方がいいですか?」
「それをしたら必ず良くなりますか?」
自分がどうしていけばいいか相談者に決めさせようと迫ってきます。でも、話を聞いていると他の相談機関で話をしていて、提案を聞いていました。同じことをここでも尋ねてきます。尋ねたくなる気持ちはわかりますが、「〇〇すべきです」「△△したらどうですか」等の言葉を並べても、その人が納得しなければ行動しないでしょう。現に、前に聞いた提案を実行していないのですから。
人は、数字の羅列や関係性が見えない箇条書きを覚え続けることは難しいですが、物語は長く覚えていられると言います。小説や映画のストーリーをおぼろげでも思い出すことができます。そして、自分の周りで起きていることもエピソードにして理解しています。物語を語ること、そこを大切にしていきたいと感じています。
お帰り
お帰り
子どもが自立して、実家に帰りたくなるタイミングは人それぞれ。私自身は、地元の友人と会うために帰っていたことを思い出します。息子と娘は対照的で、娘はフラッと帰って来ることが多いですが、息子の方は用事がないと帰ってきません。
元里子とは、離れて暮らすようになってからもお出かけを通して交流してきましたが、家で会うことはしてきていません。里子からも「家に行きたい」とは言われたことはなかったです。里子と別れて暮らすことになった最後の日、私たち家族は全員傷つきました。家には楽しい思い出もありましたが、深い悲しみが強烈に残っている場所で、そこに戻ることをためらう気分を払えなくて、家へ向かうことに怖さも感じていました。
外出を重ねていく中で、里子がちょっとした甘えを出してくれるように変わっていました。今思えば、一緒に暮らしていた時、それぞれに力んでいて、ぶつかることが多く、関係がぎくしゃくしていました。不思議と別れて暮らすようになってからの方が、お互いの緊張が和らいで穏やかになっていました。
里子との関係が落ち着いていくと、「家」で会っても許されるのかなと感じるようになってきました。暗黙の了解のように家に近づかないでいると、何か重荷を引きずっているようだし、家で会うとあの辛かった頃に戻ってしまいそうな漠然とした不安が出てきます。でも、里子は成人して、仕事をし、自分の生活を成り立たせていて成長した里子が、あの頃のようなトラブルを起こさないと信じることにしました。
里子に「家でご飯食べる?」と誘うと、すぐに「うん」と返事がありましたが、「駅からの行き方、忘れたから迎えにきて」とメッセージが届き、久ぶりの我が家に向かうのに、一人では心細いのだろうと感じました。
駅まで迎えに行き、約6年ぶりに里子が家に入ってきても不思議と違和感はありません。里子がランドセルを背負って「ただいま」と帰ってきていた頃にタイムスリップしたような錯覚に陥りました。
そして、離れてからずっと呼ばれていなかったのですが、
「かぁちゃん」 と呼ばれていました。
いっぱい傷つけただろうに、またそうやって呼んでくれるのだと思うと目頭が熱くなります。
やっとこの子が帰ってきた。
「お帰り」
援助者が健康でいるために
援助者が健康でいるために
京都国際社会福祉センターで家族療法ワークショップの講師を担当するようになり、改めてシステム論について思いを馳せました。今回のStep1で印象に残った言葉は、
「援助する側が健康であり続ける」です。
教員や児童、生活保護、高齢者分野等で働く職員が燃え尽き症候群や精神的に追い詰められ病気になり、働き続けられなくなることがあります。物事をシステムとして捉え、その中の関係性に焦点をあて、できることを探すと援助者が無力や無能力感に陥らず、健康で働き続けられるというものです。
具体的に考えてみましょう。
Aくんが同級生に暴言を吐き、手や足が出ます。担任が、Aに注意して親に電話を入れ促していますが、何度も繰り返します。親を呼んで話すことになりました。来たのは母親でした。担任の印象は、謝罪はするがどこか他人事のように見え気になった。Aくんは、母親に関心を示してもらえず寂しさがあるのではないかと感じた。
① 問題に注目パターン
母親に「家でもAくんと話をしっかりするようにしてください」と伝え面談は終わった。
家に帰ると母は、「何で叩いたの?手を出したらダメって何度も言っているよね」と話してみたが、Aからの返答はない。「何度も何度も先生に言われるし、少しは大人しく過ごせないの?何とか言いなさい」と伝えた。
たぶん、これだとAくんが落ち着くことは難しそうです。
② 家族の関係が気になって聞いてみたパターン
「お宅では、Aくんは何をして過ごしていることが多いのですか?」
「そうですね、一人で動画を見ていることが多いです」
「何の動画ですか?」
「電車が好きで」
「あぁ、好きですね。電車を見に出かけることもあるのですか?」
「父も好きなので近くの電車が見える公園に一緒に出かけていますね。たまにですけど」
「お母さんも一緒に行く時もあるのですか?」
「前は行っていたこともありますが、今は行かないです」
「どうしてですか?」
「仕事も忙しくて、疲れがたまっていて身体がしんどくて」
「大丈夫ですか。その中、来てくださったのですね、ありがとうございます」
家族の関係が気になったパターンは、まだ続きます。父とAくんの関係は良さそうかな、母とAくん、父と母の関係はどうだろうと思いながら話を聞いていくと話が広がりやすくなります。一見、トラブルとは関係がないよいような話題をどう扱ったらいいのか躊躇することが多いと思いますが、援助者側が家族の関係を大切に思い、そこに変化していく糸口があるとわかっていれば、気軽に聞けます。
Aくんの暴言、暴力をなくす、Aくんを変えるために説得しても事態は進展しないし、相手からの信頼を失います。母からは、「言われた通りに話をしましたが、どうにもならないどころか悪化しました」と援助者側のせいにされることもあります。ゴールを先に設定すると視野が狭くなりやすいと感じています。
家族の関係や生活の中にできそうな変化、例示の家族なら「1回だけでいいので、親子3人で電車を見に行ってもらえませんか?そして、その時のAくんの様子を聞かせてください」という感じですが、担任からその提案は言いにくいのなら「Aくんとお父さんと一緒に電車の話をしてもらえませんか?Aくんの好きな電車をすごいね、かっこいいねと言って聞いてあげてもらえますか」なら言えそうでしょうか。提案が上手くいけば続けてもらいますし、上手くいかなかったら次にできそうなことを考えます。
ゴールではなく、プロセスとその変化を見ようとすることを繰り返します。援助者の提案は、家族が改めて意識して行動する作業です。その経験から、変化が起こり、家族が自分達のことに注目し考えようとする力になっていきます。そこからは、援助者が抱え込む事柄はほとんどありません。援助者が家族の問題を丸投げされて何とかなるものだと思っていないので、疲れることはありますが無力感に苛まれたりせずにすむというカラクリです。