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援助者が健康でいるために
援助者が健康でいるために
京都国際社会福祉センターで家族療法ワークショップの講師を担当するようになり、改めてシステム論について思いを馳せました。今回のStep1で印象に残った言葉は、
「援助する側が健康であり続ける」です。
教員や児童、生活保護、高齢者分野等で働く職員が燃え尽き症候群や精神的に追い詰められ病気になり、働き続けられなくなることがあります。物事をシステムとして捉え、その中の関係性に焦点をあて、できることを探すと援助者が無力や無能力感に陥らず、健康で働き続けられるというものです。
具体的に考えてみましょう。
Aくんが同級生に暴言を吐き、手や足が出ます。担任が、Aに注意して親に電話を入れ促していますが、何度も繰り返します。親を呼んで話すことになりました。来たのは母親でした。担任の印象は、謝罪はするがどこか他人事のように見え気になった。Aくんは、母親に関心を示してもらえず寂しさがあるのではないかと感じた。
① 問題に注目パターン
母親に「家でもAくんと話をしっかりするようにしてください」と伝え面談は終わった。
家に帰ると母は、「何で叩いたの?手を出したらダメって何度も言っているよね」と話してみたが、Aからの返答はない。「何度も何度も先生に言われるし、少しは大人しく過ごせないの?何とか言いなさい」と伝えた。
たぶん、これだとAくんが落ち着くことは難しそうです。
② 家族の関係が気になって聞いてみたパターン
「お宅では、Aくんは何をして過ごしていることが多いのですか?」
「そうですね、一人で動画を見ていることが多いです」
「何の動画ですか?」
「電車が好きで」
「あぁ、好きですね。電車を見に出かけることもあるのですか?」
「父も好きなので近くの電車が見える公園に一緒に出かけていますね。たまにですけど」
「お母さんも一緒に行く時もあるのですか?」
「前は行っていたこともありますが、今は行かないです」
「どうしてですか?」
「仕事も忙しくて、疲れがたまっていて身体がしんどくて」
「大丈夫ですか。その中、来てくださったのですね、ありがとうございます」
家族の関係が気になったパターンは、まだ続きます。父とAくんの関係は良さそうかな、母とAくん、父と母の関係はどうだろうと思いながら話を聞いていくと話が広がりやすくなります。一見、トラブルとは関係がないよいような話題をどう扱ったらいいのか躊躇することが多いと思いますが、援助者側が家族の関係を大切に思い、そこに変化していく糸口があるとわかっていれば、気軽に聞けます。
Aくんの暴言、暴力をなくす、Aくんを変えるために説得しても事態は進展しないし、相手からの信頼を失います。母からは、「言われた通りに話をしましたが、どうにもならないどころか悪化しました」と援助者側のせいにされることもあります。ゴールを先に設定すると視野が狭くなりやすいと感じています。
家族の関係や生活の中にできそうな変化、例示の家族なら「1回だけでいいので、親子3人で電車を見に行ってもらえませんか?そして、その時のAくんの様子を聞かせてください」という感じですが、担任からその提案は言いにくいのなら「Aくんとお父さんと一緒に電車の話をしてもらえませんか?Aくんの好きな電車をすごいね、かっこいいねと言って聞いてあげてもらえますか」なら言えそうでしょうか。提案が上手くいけば続けてもらいますし、上手くいかなかったら次にできそうなことを考えます。
ゴールではなく、プロセスとその変化を見ようとすることを繰り返します。援助者の提案は、家族が改めて意識して行動する作業です。その経験から、変化が起こり、家族が自分達のことに注目し考えようとする力になっていきます。そこからは、援助者が抱え込む事柄はほとんどありません。援助者が家族の問題を丸投げされて何とかなるものだと思っていないので、疲れることはありますが無力感に苛まれたりせずにすむというカラクリです。
気持ちが軽くなった瞬間
気持ちが軽くなった瞬間
前回、帯状疱疹に罹った話をしましたが、今も目にできた帯状疱疹での眼科通いが続きています。免疫が落ちるとなると言われますが、帯状疱疹になる前、確かに疲れやすく、集中力が思うように続かなかったことを思い出します。その後遺症なのか、気のせいなのかわかりませんが、何に対しても気持ちがあまり動かない感覚がありました。
猫を見ればかわいいし、食事を取れば美味しいと感じますが、ワクワクするような感覚になれません。何故なのだろう。情動の幅が小さいと気持ちが沈んできます。前向きに考えられないといい事は起こりません。
この苦しい胸の内を誰かに聞いてもらい、助けて欲しいと願いますが、このモヤモヤを上手く伝えられず、相談したのに否定されたと感じたら話す勇気も持てません。この状態は良くないとわかっているけど、どうやったら自分の気持ちを軽くできるのかわかりません。わかっているのは、
誰かが私を助けられはしない。
自分のことは自分の気持ち次第で変わる。
その気持ちを切りかえられるのも私自身。
わかっているけど、気持ちが落ち込む方へ行こうとする。
この状態で誰かにすがろうとしたらどうなるか?
私が、気持ちが落ち込んだ友人や家族を目の前にしたら、慰めて助けになろうとしますが、それがいつまでも続いたらこちらの気持ちが萎えてきます。
「また同じことを言っている」
「何を言っても聞く耳を持たないな、この人」
「聞いていたら疲れる」
私なら、きっとこう思います。
そんな人になりたくない!と思ったら、何故か気持ちが軽くなり、元気が出てきました。
一緒にいたくなる人は、楽しくて、前向きで、人の悪口を言わない人でしょうか。どうせなら、そういう人になりたい。
他の人を羨んだり、憎んだりせずに自分を受け入れることをしたい。
今置かれた自分を考えてみました。
そこから、有難いと思えることは何か考えてみるとたくさんありました。家族が元気で、いい距離感でつきあえている。仕事もある。明日のご飯も困らず食べられる、まだまだあります。小さなことかも知れませんが、有難いことです。
世の中はままならないもので、気持ちの浮き沈みは誰にでもあります。若い時には周りがわかってくれないと悩み、人生の折り返し地点を超えてからは自分がやってきたことが報われていないように感じ、他者と比べても仕方がないと思いながら、ついつい周りと比べて自信を失くしたりします。
それでも自分の気持ちの切り替えができるのは私だけ。私が私を誰よりも認められていないのかも知れません。「頑張っているよ私」と自分に言っても罰はあたらないでしょうね、きっと。
帯状疱疹が顔にできるって知ってました?
帯状疱疹が顔にできるって知ってました?
私事ですが、帯状疱疹ができました。それも目と額に。
最初は、瞼の上にできものができて痛くなってきたので眼下に行くと「ものもらい」と言われました。目の上の額にも赤くブツブツとできものが・・・。
アレルギー?花粉?かぶれ?
目薬を差して、軟膏もつけているのに痛さが増している。
「痛たたた」
良くなっているのか?
そんな時に言われたのが、「それ、帯状疱疹じゃない?」
帯状疱疹って、腹回りや腕にできるものだと思っていました。目にできると失明する恐れもあるそうです。
帯状疱疹と言われて、この異様な痛さにも納得がいきます。早速、皮膚科に行くと帯状疱疹と診断され、眼科に再受診するよう助言され、その足で眼科に行くと薬が変わり、1週間後に受診となりました。
結局、飲み薬3種、軟膏2種、目薬1種となりました。薬漬けです。
1週間経つと痛みはほとんどなくなりました。ドクターから、顔は痛みが残る人が多いから良かったですねと後は残りますからねと言われました。帯状疱疹、なかなか手ごわいです。
皮膚科の壁には、50歳を過ぎたら3人に1人が帯状疱疹に罹っていますとあり、予防接種を受けるように広報されていました。身勝手なもので、自分が帯状疱疹に罹るまでその情報に触れていても気づけなかったようです。家族も私が痛がっている姿を見て、帯状疱疹を疑う者はいませんでした。知人からの情報で、やっと気づけました。
今の時代、情報が溢れていますが、自身の受信センサーが働かないと流れていってしまいます。子どもに良かれと思っていろいろ教えようと思っても、子ども本人にその気がなければ全く意識されないのと一緒ですね。
話が伝わらない、気持ちがわかってもらえないと嘆く声を聞きますが、その人が何に関心があるかで受け取り方が変わるからなのだと改めて感じました。
今回、痛みの辛さの理由がわからない不安、そして失明する可能性があったとわかった時の恐怖がありました。情報に救われた気がしています。だから、このメッセージで帯状疱疹かも知れないと気づける手助けが少しでもできたら嬉しく思います。
家族旅行
家族旅行
今年もゴールデンウィークがやってきました。以前、旅行に行こうとして高速道路に乗ってすぐ渋滞にはまり、目的地のホテルに着いてその日が終わりました。渋滞という行楽をしてきたかのようでした。
小学生ぐらいまでは長期休みがあれば、家族旅行に行こうかなと考えます。小さい頃は、連れて行っても覚えてなかったり、人の多さや眠気でぐずられたりしました。小学生になると、親は子どもを喜ばせたいと思案しますが、子どもの方も意志を持つようになり、親のプランが不満で、折り合いをつけるのが難しくなります。旅行に出かけても、子どもが機嫌を損ね、家族から見えるか見えないかぐらい距離を置いて着いてくるなんてこともありました。せっかくの家族旅行なのに親子喧嘩をしに行ったかのようで悲しい気持ちになりました。
いつもと違う体験、何をするにも準備がいるキャンプに思い切ってチャレンジしました。初めてのキャンプは、夫も私も経験がなく、何をどうすればいいのかわかりません。同じようにキャンプ未経験の友達家族と一緒に行くことにしました。
その時、テントは持っていったように記憶していますが、タープはキャンプ場で借りました。それも、着いてから周りを見渡して、「要りそうだね」と大人4人が相談して慌てて借りに行くという始末です。
初めてのキャンプ場は、冬はスキー場となっている所でした。そこのフリーサイトでテントを張る場所を探しましたが、空いていたのが坂になっている所で、朝起きたら家族全員がテントの端に重なっていました。テントは坂に張るものではないとわかりました(笑)
キャンプでは、水汲み、火をおこし、ランタンの灯りは蛍光灯にように周りを照らさず、肉が焼けているかどうかもよくわかりません。暑くてもエアコンがない不便な生活に身を置きます。強風でテントが飛ばされそうになったり、雨が降れば水が入り込まないようにテントの周りに溝を掘ったりしたこともありました。家族が皆で協力しないと寝る所も食事の確保もできません。でもそれば、子どもには遊びの延長のように感じたようでした。
焚火に薪をずっとくべていたり、川で遊んだり、非日常のワクワク感がありました。 キャンプ場の朝食は、炊き立ての白米と味噌汁が定番となり、いつも朝ご飯を食べない夫もよく食べていました。外で食べる炊き立てご飯はご馳走です。
テントの撤収やキャンプ用品の片づけは、面倒で、大量の洗濯物に囲まれて、帰ってからの選択を考えると頭が痛くなりましたが、もうキャンプに行きたくないとは思わなかったです。
今はグランピングという快適なキャンプもありますが、不自由な生活を送ることにキャンプの醍醐味があると感じます。後半は、テントではなくコテージを借りるようになりましたが、ランタンの灯りの中のバーベキューは気持ちを盛り上げてくれます。自然を近くに感じながら、大人も子どもも苦労して過ごす経験が心地良かったことを思い出します。
旅と言うのは不思議とアクシデントがある方が記憶に残ります。そのアクシデントを何とか乗り越えて、無事に帰ってこられた。この思い出が、その後よく話題になり、笑いあえます。家族でいろいろな経験を積み重ね続きていきたいですね。
話したくなる位置
話したくなる位置
家族が面と向かい合って、自分たちの課題を話し合うことは、なかなかしにくいものです。課題について話をしていても、お互いに批判しあったり、違う話題にすり替わったり、話が進まず実りある話し合いにならないことが多いのではないでしょうか。話をする際、真向かいに座るよりも、横並びや机の角に斜め向かいに座り方だと話しやすくなると言われています。
この座り方の方が、話しやすいと感じますが、家族にはそれぞれ話がしやすくなる座り位置や動作があるなぁと最近気づきました。
・夫はドライブしながら横並び
・息子はSNSで文字会話
・娘はカフェで向き合いながら
・元里子は横並びで歩きながら
夫と息子、元里子は話下手なので話が弾むことはほとんどありません。息子の返事は、必要最低限のみ。返事があればいい方ですが、文字のやり取りなら自分の気持ちを書いてくれる時があります。里子も、「知らん」「わからん」と言うことが多かったですが、最近は仕事や友達の話もしてくれるようになりました。就職試験が上手くいかなかった時には、父も母も同じように落ちたことがあると横並びに歩きながら伝えると「うん」と受け止め、考えようとしているのがわかります。
夫も肝心な話をしても反応がほとんどありません。何を思って、考えているのかわからないので困ります。ちょっと話をしたい時は、ドライブしながら話すといつもより話しやすそうにしています。
娘は3人とは違って、話を聞いて欲しいタイプです。家では、深刻な話はあまりしませんが、カフェに行くとスイッチが入るのか急に話し始めることがあり、こちらが驚かされます。大抵、深刻な話になると思わずに同席をしているので、のんびりした気持ちから慌てて集中モードに切り替えをしないとなりません。
娘の話は、そこまでしんどい思いをしていたのかと気づかされるので、一番しんどい時に気づけてあげられてなかったと知らされて凹みます。その当時も娘と話をしていたはずなのですが、深刻さを受けとめる事が出来ていなかったと反省もします。ただ、私自身もそうですが、しんどい時ほど「大丈夫」と言ってしまいます。大丈夫でないと自分が認めたくないし、どう大丈夫ではないかを上手く話せそうにないと感じると、言ったところでわかってもらえないのではないか、大したことではないと否定されるのではないか、そんなことになったらもっとしんどくなると表面に出したくなくなります。
自分の事を語り始めるには、気持ちに余裕がないと難しい。それは家族であっても同じです。受け止めてもらえると思えないと話し始めることもできません。できるだけ相手の立場だったら自分なら何を感じるかをイメージすることが真摯に向き合うことになります。
家族間でしっかり話をしようと思っても、口下手な相手だと会話が続きません。家族面接のような場面なら話をせざるを得ないですが、日常の中でそれを実行するのは難しい。家族の話したくなる位置や動作を探し、大切な話を少し交わせられれば充分実りあるものになり、家族の力が強まると感じます。