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右手人差し指の爪がえぐれました
右手人差し指の爪がえぐれました
家族療法ワークショップの講師をさせてもらうようになったのですが、その最中に重い折り畳み椅子に指を挟んでしまい、「あっ、やば」と思った瞬間には血がダラダラ。
やってしまった、しかもこのタイミングで。
そしてズキズキする。何重にも巻かれた絆創膏で人差し指にギブスがついたようで、どうしても指を立てたトゥースのポーズになってしまう。受講生の皆さんに「お騒がせをして申し訳ありません」と謝罪したら、皆さんに「大丈夫ですか?」と労わっていただきました。やさしい。
受講生の一人に「病院に行った方がいいですよ」とアドバイスされました。
うっ、面倒くさい。やはり病院に行くレベルの怪我なのか・・・。
ところでこのケガは、何科に行けばいい?
アドバイスをくれた方がドクターだったので尋ねると、形成外科で診てもらうのが良いとのこと。
「整形外科?」
「違います」
「近くにない」
「でしょうね、大学病院とかにある事が多いから」
「じゃぁ、他は?」
「うーん、深く切れていないのなら皮膚科かな」
というわけで、研修が終わってからいざ皮膚科。ケガをして3日目。
「あーえぐれているね。下の肉が盛り上がっているから下げていかないと」
先生、簡単に何か凄いこと言ってない?
3週連続で通院することになった。思っていたより重症。
でも、得したこともある。
ネタになる。
人差し指を上に向けているだけで
「指大丈夫ですか?」
「その指、どうしたのですか?」
と声をかけられ、「指を挟んだら、血がドボドボ出てきて」と言えば、
「うわぁ」「痛そう」といいリアクションが返ってくる。
アハハと笑っておしまい。
家族療法ワークショップの受講生も私の指が印象に残る人が何人かはいるだろう。
また出会えたら、完治した指を是非見てもらおう。
私のうっかりで怪我をしてしまいましたが、あの時ああしていればと後悔しても指は戻らない。それなら、楽しい方に物語って笑いあえるのは何かいい。
痛いですよ。立てた指だけがぶつかって、ジーンと痛む。それを何度も繰り返す。あー、またやっちまった。
そして、3日前に右手を猫にひっかかれました。けっこう深く。しみる。くー。
私の右手、厄払いしようかな。
2025 念は、どのような年でしたか?
2025年は、どのような年でしたか?
気づくともう年末。早いものです。皆さんは今年、印象に残る出来事やイメージはどのようなことでしたか?楽しかった、しんどかった、何をしていたのかわからないけどあっという間だった等、いろいろな感想を持たれているのではないでしょうか。
私は、物事が何となく動き始めたなぁという印象です。
3年程前、眩暈が続き、立っていられなくなって辞職をした経験があります。入院することもなく半年ほど経ってから別の仕事を始めたので、大したことじゃなかったと思います。でも、私には突然訪れた無職、無収入、眩暈で「今後私は働けるのか?」「私にできることはあるのか?」と自信喪失、そしてわけのわからない焦り。急に与えられた時間を持て余して、早く社会復帰をしたくて仕方がない。あー悲しい貧乏性、器の小ささぶりを発揮していました。
無収入になり、お金を使うことに恐怖した結果、図書館通いを始めました。本をタダで読める夢の国。いつもは手を出さない本との出会い。知らない世界が私を落ち着かせてくれることを実感していたら、「物語が私を救ってくれた」というフレーズをみつけました。私と同じような事を他の人も思うのだと知りました。
本を読み漁っていると、頭の中を軽くさせるために何でも構わないから自分の気持ちをA4用紙3枚分書く方法を知り、暇で仕方ない私は即実践。正直このノルマ、きついです。でも、手を動かしてせっせと書いていくと自分の中のたまりにたまったうっぷんを吐き出しているようなり、スッキリ度はマシマシです。
他にも大事だなと思うことは実行しました。私の気持ちが復活する方向に繋がるのではないかと期待してみても、このままの状態がいつまでも続くような不安も感じ続けていました。私はどのような変化を望んでいるのか、どうなりたいのか自分迷子状態。私を救えるのは私自身。自分で納得できるかどうかだけなんだよなぁ、きっと。
自分なりの落としどころをみつけたら、いろいろな事が気にならなくなりました。身近なところだと、クリスマスや正月を特別な日だと思わない感じ。正月だからと何かをしようと思わず何の用意もしていないところに家を出て7年になる息子から「帰省する」と連絡が飛び込んできました。それまで1度も自分から言わなかったのに。驚き過ぎで、スマホを二度見して確かめました。
仕事も何か動き出しているなぁと感じる1年でした。決して大きな変化ではなくても、変化は楽しい。それだけで人生丸儲けという気分。やはり、私の器は小さかった。小さく喜べるのは割と楽しいです。
今年1年ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
子どもが作る共同体
子どもが作る共同体
あなたは、人間は元々善なのか悪なのかどちらだと思いますか?赤ちゃんを見ていると、可愛らしくていつまでも眺めていたくなります。その天使のような微笑みからは性善説こそ正しいのではないかと感じます。その天使も火がついたかのように夜泣きをされると、こちらの体力が奪われてやはり性悪説の方が正しいのかも知れないと凹んでしまいます。
世間には、他者をだまそうとする人がいて、他の人よりも有利に立とうとする競争があって、何処に生まれるかで経済的格差や教育水準が変わる。世の中は不公平です。
子どもが友達の世界を持ち始めると、それまで頼りにしていた親を疎ましく思い、反抗的な態度を取られて寂しさや怒りを感じる親御さんは多いようです。子どもが親から離れようとすればするほど、子どもの将来が不安になります。
この子はどうなってしまうのだろう。
悪い道に突き進んでしまうのではないか。
私の育て方が悪かったのだろうか。
心配や不安で心が埋め尽くされてしまうと悪い方ばかりに考えが向いてしまいます。戻せるものなら正しい世界へ導きたいと思っていると、その雰囲気が伝わり、反感を買うでしょう。正しい道に戻したいと思っているのは、今の子どもを否定することになります。これでは親関係が回復しません。子どもも未熟なりに考えて、危険な区域に踏み込まないように用心しているという自負心があると、認めようとしない親への怒りが大きくなります。
進化論では、人類は歴史の大半を共同体で生活をしてきたので、この共同体の中で生き延びてきた祖先の遺伝子を受け継いでいると言われています。子どもが友達関係を重視するのは本能的にこの場で生きていかなければならないと感じて必死になっていると考えられます。
そして狩猟民族の共同体では、そこから追い出されたら「死」を意味します。共同体から追い出されないように目立たず、共同体の優劣の順位を上げるためにある程度は目立たないとならない矛盾する行動を取ろうと必死になります。現代は、暗闇で身を潜めて寝ることもなく、明日の食料が得られない不安がなくても、未来に不安を感じるようにできているそうです。
世界中にいじめやハラスメントが起きていることを考えれば、人は共同体の中での優劣の順位争いを本能的にしてしまっているのだと頷けます。
子どもは今の友達関係に共同体を感じ、そこが世界の全てだと信じているのでしょう。その子どもに世界は広いことを伝え、失敗をしてもやり直せる道があると教えたらいいのではないでしょうか。
親パワーの賞味期限
親パワーの賞味期限
生物から見た親子関係は命ある限り続きますが、親が子を護る関係はいつまで続くべきなのか考えさせられる相談を受ける機会が増えたように感じています。
外敵から我が子を守ろうとして親が盾になって子どもを抱え込みたくなる衝動が起こる気持ちもわかりますが、それが長い目で見て子どもにどのような影響を与えているでしょうか。
例えば、衛生管理。日本は、とても清潔な空間が保たれていますが、いろいろな菌を恐れて消毒し過ぎて免疫力が低下していると言われています。子どもの数が減少して、大人の目が子ども達を捉えることが以前よりも容易になっているのかも知れません。子ども同士のトラブルで、親同士が話し合って解決したという話を聞くことがあります。子どもも含めて話し合っているのならわかりますが、「あなたは何も心配しなくていいの、お母さんがちゃんと解決してくるから家でまっていなさい」と子どもが蚊帳の外に追いやられていたと聞いて驚きました。自分身に起こったトラブルが知らない間になくなっていたという経験から、子どもは何を学ぶのでしょうか。
私自身がその子どもの立場なら、無力で自分では何も解決できないと自信を失くすのではないかと感じます。次にトラブルに見舞われたら、親に話して解決してもらおうとするのか、それとも親にバレないように口を噤むようになるでしょうか。どちらにしても社会の中で生きていく力は育ちません。
ある親御さんは、子どもにしょうがいがあると診断され、療育や放課後等ディサービスの利用を拒みました。その理由は、「家に居た方が、この子が傷つかないから」でした。そして、その子はだんだんと学校に行かなくなり、高校中退をし、家から出ようとしなくなり、今後に不安を感じると相談に来られました。
親が高齢になっても親子関係のトラブルは起こります。父親は他界し、母親が80歳を超え、検査入院が必要になりましたが、一緒に住んでいる53歳の息子は、独身で無職、サービス関係者とも話そうとしません。母親も子どもの事が心配だからかと検査入院の日取りを決めようとしません。子どもは以前に働いていたこともあるようですが、結婚歴はなく、家を出て一人暮らしの経験もないそうです。子どもが心配とのことですが、息子さんは53歳です。もう子どもではありません。いつまで親に守られる子どものポジションでい続けるのでしょうか。
親が自分の事よりも子どもを優先して暮らす時期もありますが、子どもが自分の足で生きていける道筋を潰してはならないと感じます。子どもが巣立っていく寂しさや心配、不安は親自身が受け入れていかないとならないものです。子どもをいつまでも引き留めてはならない。子どもが小さいうちにいっぱい失敗をし、困ったら助けを求められる経験を積んでいくことが、子どもの生きていく術になります。
親の役割は、子どもが生まれたての頃は命を守る行動をしていきますが、だんだんと巣立たせるための道を導くものになります。子どもを傷つけないように子どもの前に立ち続けていたら、いつか賞味期限切れになり子どもにいい影響を与えなくなっていくことを覚えておきたいと感じます。
人は物語の中を生きている
人は物語の中を生きている
「話をしていたら、何となく整理ができてすっきりしました」
と言われたことが何回かあります。
問題を抱えている状態だと、自分の思いを爆発的に訴えかけてこられます。
例えば、私は人とコミュニケーションを取ることに苦手意識があって、今の職場に落ち着くまでに幾つか仕事を変わっているのですという話題の時、
「今の職場は、働き始めてどれくらいですか?」
「今の職場と前の職場の違いは何だと思われますか?」
「いつ頃からコミュニケーションが苦手だと感じていましたか?」等の質問をして話していくと、その方の中で整理や発見があったようで、解決策が出てこなくても「何とかなりそうです」と張りのある声で相談が終了したことがあります。
その時は、私の方があっけに取られましたが、同時に面白い現象だなと感じました。相談し始めの声は弱々しく、自身を認められないという雰囲気でした。この方は、周りから「お前はダメだ」「一人では何もできない」と言われてきたようです。今まで考えてこなかった違う視点で話をしただけですが、力強さを引き出してこられました。
この方は、自分の新たな展開の物語を紡いでいたのではないかと思います。相談を受ける方は、解決策を一所懸命探して伝えようとしたくなりますが、そこに落とし穴があるように感じます。
「どうしたらいいですか?」
「〇〇をするべきですか、しない方がいいですか?」
「それをしたら必ず良くなりますか?」
自分がどうしていけばいいか相談者に決めさせようと迫ってきます。でも、話を聞いていると他の相談機関で話をしていて、提案を聞いていました。同じことをここでも尋ねてきます。尋ねたくなる気持ちはわかりますが、「〇〇すべきです」「△△したらどうですか」等の言葉を並べても、その人が納得しなければ行動しないでしょう。現に、前に聞いた提案を実行していないのですから。
人は、数字の羅列や関係性が見えない箇条書きを覚え続けることは難しいですが、物語は長く覚えていられると言います。小説や映画のストーリーをおぼろげでも思い出すことができます。そして、自分の周りで起きていることもエピソードにして理解しています。物語を語ること、そこを大切にしていきたいと感じています。