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えっ、そんなこと言った?
えっ、そんなこと言った?
忘れられない言葉というのは、誰にでもあると思います。人生を変えるような言葉や一生忘れないからな覚えておけと怒りに震えるような言葉かも知れません。
私が中学の時に、壁にいたずら書きをされてショックを受けていたら、友達が「あんなの気にしなくてもいいよ」と言ってくれてその言葉に救われて今も感謝しているのですが、その友達はそのことを全く覚えていませんでした。
母からは、子どものためではなく親のためだと感じる事をよく言われて、しんどく感じていましたが、母親も90歳になり、だいぶ性格が丸くなってきました。
その母が、「近所の人が遊びに来てと言うのだけど、行くと苦労話ばかりするからいややねん」と言うので、「無理して行かなくてもいいと思うけど」と返しました。
「そうよね。友達は離婚して女手一つで子どもを育てて、うどんしか用意できない時があって、麺は子どもに食べさせて、私は汁だけで我慢したのって言ってね、苦労したことを子どもに聞かせたいと言うのだけど、どう思う?」
「子どもさんは、あんまり実家に来ないのかな?そんな話をされたら余計に遠のきたくなるね」
「だよね。私もそんな話しない方がいいと思うから、やめときなって言ったのよ」
「ふーん・・・・・。ねぇ、子どもの頃、私に言ったこと覚えている?私と同じ考えじゃないなんて許せないと詰め寄ってきたこととか」
「えっ、そんなこと言ってた?全然覚えてない」
「何度も言われた」
「えー、そんなこと言ったかなぁ」と首をすくめる母。
私には迷惑この上ない言動だったですが、言った張本人はきれいさっぱり忘れていました。
そういう私も娘を叱ったことを覚えていませんでした。娘が小学生の時にウサギを飼っていて、ゲージから出した時にウサギが電気コードをかじって火花が飛び、その時に私が娘にすごく怒っていたと言うのですが、全く思い出せません。怒るとしたら、ウサギを出すと危ないからちゃんと見てねと言ったのに見ていなかったことを叱ったのでしょう。
同じ場面でも言われた方は忘れられませんが、言った方は特別なこととして認識していないのか、覚えていないという対照的なことが起きるのだと改めて認識しました。
自分も含め、都合よく記憶する人間の逞しさに驚きます。言った側と言われた側から見える風景は、全く異なります。
その言葉で傷ついた方は、忘れられない体験として刻まれますが、言った方は時間の流れと共に自分をいい人間にしておくために都合が悪いことは、無意識に忘れ去ろうとするのかも知れません。
私の母親は、自分を良い人間だと信じ、人の気持ちがわかり過ぎてしまうから考え過ぎてしまうのだとよく言っています。人の気持ちがわかり過ぎてしまうのなら、子どもにあの言動は取れないだろうと突っ込みたくなりますが、誰もがより良い人になりたいと願い、行動しているのだと思います。そこに人間関係のすれ違いやトラブルが起こるのですが、自分を悪役に認定するのは至極難しいことなのですね。