ブログ
人生は終わらない
人生は終わらない
あなたは、自分の人生について振り返ってみたことはありますか?
若い頃は、人生という山の頂を目指しているような感覚でしたが、子どもの手が離れると、私は何をしていけばいいのだろう?と自身が浮き彫りになってきました。子どもや家族のことを優先させて過ごしていたが、子どもは友達との予定が忙しく、母親を求めることはグッとへってきます。家族から置いてきぼりをくらい、ポツンと一人取り残されることが増えます。自分のことを考えないとならない時期がやってきました。
子どもを産んだ時、要領よく立ち振る舞おうとしても通用せず、その感覚は横に置かないと子育てはできないだと知り、自分のことは後回しにする癖がつきました。その生活に慣れ親しんだ後、また感覚を見直さなければならなくなりました。同じままではいさせてくれないのですね。
先日、娘の幼馴染がバイトしているBarに行きました。彼女と娘は保育園時代から家族ぐるみで遊んでいて、性格は違えどとても気が合うようでした。彼女は、大学に進んでからいろいろと悩み、葛藤していました。そして、退学をして地元に帰ってきました。退学を決意するには莫大な勇気が必要だったと思います。これで私の人生は終わってしまうのではないかと不安に襲われもしていました。このまま大学在学期間満期になって去るのと、自ら次の道に進む洗濯をするのでは、未来が全く違います。現に、目の前で働いている彼女の笑顔はとても美しい。賢いから、外国人客とも英語で会話している姿はカッコいい。娘も大学生になり、研究室の人間関係で悩み、躓く時もあり、たまに泣いて、また前に進もうとしています。
この娘たちは、簡単に人生は終わったりしないと学んだでしょう。それは、生きる力です。
親として、未来を担う子どもたちに、私たちはいろいろな道を選択していける力があることを教えることが重要です。
私は、母親から「〇〇したら、人生終わりだからね」と何度も聞かされてきました。おどしによるコントロールです。それを私も子ども達にしてしまいました。親はそこまで思っていなくても、子どもの中に深く残ることもあります。もっと早くに、そうはならないと気づけていればと後悔しています。
離れて暮らすことになった里子にも、簡単に人生は終わらないと教えてもらいました。
離れる時は、実を切られるようでした。本当に人生が終わってしまったように感じました。その後、里子の状態が落ち着いてからボランティアという立場で、数か月ごとに出かけています。再会した時は、よそよそしい態度でしたが、出会いを重ねていくにつれ、「ここに来て欲しい」や「あそこに行ってみたい」など、ちょっとした甘えを出してくれるようになりました。何を聞いても「別に」「わからん」「ない」と答えていた子でしたが、そんな風に言えるようになったと感慨深い。里子は、いろいろな大人が手を焼きましたが、それ以上に可愛がれ、愛されたことが、里子の中に届き始めているのかも知れません。あの頃、また里子とこんな風に語れる日が来るなんて想像きませんでした。
当たり前のことですが、人生は続いていました。
傷つきにばかり目を向けるのは得策ではないのだと感じます。
今の自分にできることに目を向ける。
そして動く。それほど長く時間がかかることでなくていい、一歩動けば変化が始まる。
その繰り返しをすればいいだけ。
いい時ばかりではないし、気持ちが塞ぐ時もある。
でも、終わりなんかしないのでした。