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里親家庭の物語2 家族は生き物
里親家庭の物語2 家族は生き物
立命館大学主催のフォスタリング・ソーシャルワーク専門講座で、前回に引き続き父と娘と私の3人で話をさせていただきました。今回は、兄のコメントを紹介しました。
兄のコメントは、里親をすることに反対だった、里親をして得るものは何もなかった等、里親をしたいと私が言い出した時は、あまり深く考えずに「いいよ」と言っていました。小学6年生でした。20歳を超えて、働き始めた今だから感じていることを書いたのでしょう。
兄のコメントは、同じ実子の立場で共感できる面もある娘が代弁をしました。
●共感できる部分
両親以外の周りの大人が里親をすることについて理解するのは難しかった。父母にではなく、聞きやすい子どもに尋ねてきた。
「結局何しているの?」「いつまでいるの?」「これからどうするつもりなの?」
大人たちは、トラブルに子どもを巻き込みたくなりと行動します。
子どもから見れば、聞いてはいけない、大人の顔色や空気を読む。
何が起こっているのかわからない。
兄のコメントの中には、誤解がかなり多く含まれていました。
娘は、里姉として話す機会があり、その打ち合わせをしていく中で、実際に起きていた経緯を知っていきましたが、兄は偏った情報だけで判断しているのだと思ったと話していました。
●娘と兄の違い
それは、里親制度を知ろうするかどうかだと話していました。
他者の考えに同調して終わるのではなく、自ら知ろうとするかどうかが違う。
兄は、プラスになることが多くないと認められないと思っているようだが、私は里親家族をしてきて、しんどいこともたくさんあったが、嬉しいこともあった。その経験も含めて今の私がいる。なかなかできない経験をしてきたという自信を持っている。だから、得るものは何もなかったという言葉に共感はできない。
娘は、中学の時に大人も友達も信じられなくなった時期があったそうです。
それもあって、高校は登校に1時間かかる所を選びました。制服がなく、自立と規律を重んじ、自由にする代わりにやることは自らやるという人が多かったそうです。そこの友達に唯一里親のことを話した友達がおり、その子は、その場ですぐに里親制度を調べ始めたそうです。その行動に娘は救われ、また人を信じようと思えるようになったそうです。
娘は、里姉としての経験を何度か話してきましたが、今回の講座で初めて話しながら涙を浮かべました。大人の間で板挟みになり、人間不信になった時の自分が蘇ってきたようでした。
そして、その子どもたちの苦悩に気づけなかった母としての自分が不甲斐なく、私も言葉が詰まりました。
里親家庭の体験を話すと、ひりひりします。
父は、自分に起きたかことを語りながら、いろいろなものに向き合おうとしているように見えます。
娘は、ガラスのハートの持ち主ですが、たくましく生きようとしています。
息子とは、いろいろな話を語り合いたいなと思います。
家族3人で話す機会は2回目でしたが、自分たちでも展開が読めません。
家族や自分が話す言葉を聞き、感情が揺さぶられます。
今だから見えること、思うことがあります。里子と離れて暮らすことになりましたが、一緒に出かけ、そこで甘えてくれる姿に私が救われています。
家族は里子も含めて、一人ひとりの人生が折り重なって作られていて、そこに終わりはなく、生き物として変化し続けるものだと実感しました。