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子育てと、仕事と
子育てと、仕事と
私の経験では、子どもを授かるというのは、これまでの生活が一変することでした。
妊娠中は、お腹が大きくなり寝返りができなくなります。
逆子になっていると言われ、猫のようなポーズをしてこてんと横に倒れる逆子体操なるものをしました。
検診時に体重が増えるとドクターに叱られるので、朝ご飯を抜いたこともありました。
陣痛から出産、痛かったですね。
陣痛で苦しんでいるのに、晩御飯を食べに出かけて行った夫の横顔を鮮明に覚えています。
何時間にも及ぶ出産の後、産道も胸もめちゃくちゃ痛かった。
女ばかりが、何でこんなに痛い思いをしなければならないのかと、デモ行進をしたい気分になりました。
出産後は、休む暇もなく、子どもの世話に追われて自分の時間がどこかに吹き飛んでしまいました。
眠くて仕方ないのに、寝かせてもらえなくてフラフラ
子どもと過ごしていると誰とも会話をしていなかった
トイレまで子どもが着いてきて、落ち着いてできない
朝は職場まで走り、晩は保育所まで走って、何で私こんなに走らないとならないのだろうと思っていました。
イクメンという言葉もない時代でしたが、夫は子育てや家事をしてくれる人で、有難がったのですが、褒められるのはいつも夫だけ。
私には、暗黙のマイナス評価がくだされ、何か、理不尽。
子どもが成人して、改めて思うことは、子育ての楽しみ方を知っておけば良かったです。
子育てをしている時は、子どもか仕事かの2択に責められて、両方中途半端になっているような気がしていました。
世の中は、子育ての責任を母親に求めてきます。
父親として、よく動く夫であっても、この日どちらが仕事を休むかで、二人とも休むことが難しい時、子どものことを心配して悩むのは私だけで、夫の方はあまり深く悩んでいるように見えないことが不思議でした。
どこか他人事のように感じているように見えると、父親としてどうなの?と腹が立ちます。
夫が悪気なく「手伝うよ」と言うと、あなたの子どもでしょうとカチンときてしまいます。
夫の方は、良いことをしようとしたのに機嫌が悪くなってしまう妻に困惑。
そういうことは、他のご家庭でもよく聞きます。
夫の悪気のなさは、性役割分担の不平等さからだけでは説明がつかない、モヤモヤ感がいつもありました。
人間も生物の一つとして、備わっているものを考えてみたらどうでしょう。
まず、私たち祖先は、600万年もの間、狩猟採集の暮らしを続け、1万年前かから農耕や牧畜が始まりました。いつ自分が襲われるかもわからない狩猟採取時代の名残を受け継いでいるといわれます。
例えば、幼児期の子どもは、男の子は電車や車、女の子はかわいい生き物や花に興味を持ちやすいのは、狩りをしてきた男性は動くものに反応し、女性は居住地の周りで食べ物を採取していた所以からきている。
私たちにこうして埋め込まれたものがあるのなら、母は、子どもをよく観察して、元気かどうか常に確かめようとしていつも子どものことが頭に浮かんでしまいますが、父は家族よりも仕事の方に気がいってしまう。父は、それが家族を守る方法として埋め込まれている。
そう考えると、夫の「手伝うよ」と悪気もなく言ってしまうことに合点がいきます。
そして、現代社会は女性も働くことが当たり前になり、教育期間が終われば次は就職する道が待ち構えています。就職活動をしてなかなか決まらない時は、自分を全否定されたような落ち込みを味わいますが、それは新たな身分を得られない焦りがあるからでしょう。社会の中の身分を得るように生きることを強いる現代で、未熟で発熱しやすく、手をかけなければ生きていけない子どもを抱えることは、これまでと同じように働くことが難しくなります。社会の中の私か、親としての自分かを必要以上に自分に突き付けてしまっていないでしょうか。
このカラクリを知っておくことは大事。
夫に、何故わからないの?と苛立つ時間がもったいなかった。どうしようもないことで悩んでいるのなら、その部分は捨ててしまえば良かった。
子育てには、人手が必要です。仕事と同じように、子どもを育てていくために使えるものは何か、それをどう使うか割り切って考え、すくすく大きくなっていく子どもを楽しんで眺めるようにすれば、もっと子どもにヤイヤイ言わないで済んだかもと思う今日この頃です。