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どこまでわかりあえるのか
どこまでわかりあえるのか
人は、一人では生きていけない。群れをなす動物のため、コミュニケーションは生きていく上で重要です。
では、人同士はどの程度わかりあえるものでしょうか。
誰でも、自分が感じることを軸にして物事を判断します。
ここのラーメンが美味しいと聞き、食べに行ってみたけど期待はずれだった。
親切心で言われたけど、面倒くさいと感じる。
特に自分のしんどい気持ちをわかってもらおうとする時、自分と相手の間に誤差が生まれます。
聞き手は、その問題の当事者ではありませんから、冷静に話を聞きます。
渦中にいる私は、この気持ちをわかって欲しいと必死になります。
この高ぶる感情を静めて欲しい。
求めているところはここなのですが、わかってもらえるどころか、説教や説得をされ、余計に感情が高ぶる結果になることがあります。
優先すべきは、解決策を練るよりも感情をセーブしていく方法です。
「それは、腹が立つよね」
「そんなこと言われたら、ショックだよね」
「もうすでに、あなたは十分頑張っているように見えるけど」
そんな言葉です。
しかし、聞く側が最悪の事態を心配して、不安が先に立つと、共感する言葉をかけられなくなったり、「また同じようなことを言っている」と取り合わないで、その事柄を重要視せずに逃げてしまいます。
強い感情は人から人に伝わり、その場の空気を支配します。
負の感情が蔓延していると、それだけで気持ちが落ち込みます。
だから、この空気をなんとかしたいとそちらに気が向きます。
例えば、小さな子どもが大泣きしています。泣き止まそうと、
① 「ほら、泣いたら恥ずかしいよ、〇〇だよ」とおもちゃを見せて気をそらそうとする
② 「どうしたの?怒っているの、嫌だったのだね」
どちらの対応をしますか?②のように子どもの状態を言葉にして伝えると、落ち着けていけることが多いです。何で泣いているかわからない時は、「悲しいの、泣けるね、よしよし、泣ける、泣ける、泣けちゃうね」と言い続けているだけで、子どもも私も楽になります。言っている私の方は、泣き止まそうとするよりも、困ったねと語りかけているので、焦ったりしないので楽です。その楽な感情も伝わっているのだと思います。
相手のことは、自分を介して理解しようとします。自分の性格や現在置かれている状況がそれぞれに違うので、相手の全てをわかることは不可能です。
どんなに愛されていても、私の気持ちを100%理解できる人は存在しません。
相談を受けていると、親は子どものことを案じて、親切心でかけている言葉が、子どもを深く傷つけていたということがよく起こります。
どちらが正しいということは、言えません。どちらも自分は正しいと思っているから、争いがヒートアップしていくのですね。